Treasure Reports
第二編 上越新幹線(大宮−新潟)
第五章 中山トンネル

第五節 現地を見る(2)

前橋泊

天候不順で消化不良気味の内容だったことに納得がゆかず、資料などを読み直して再調査に備えた。
その日行った榛名トンネルでも、どうしても見つけられない場所が2カ所あり、ホテルのインターネットコーナーで地図を見たり航空写真を見たりして確認した。その結果−

四方木立坑の場所を読み誤っていた

前回お伝えした四方木の貯水タンクのような物を撮影した時に、木陰に何か巨大な施設を見た気がしたのだが、まさかあっちが本体では…!?

はやる気持ちはいやが上にも昂ぶり、初の1日500kmのドライブでヘトヘトであるにもかかわらず、一睡もできなかった。

小野上北斜坑前

前橋を出たのが8時半頃であり、前日よりは明らかにアドバンテージがあるはずだったが、名トンネルの不明地点2つの探索に手間取った。そしてできれば大清水トンネルまでの取材を完遂したかった。
そのためもあってこの日は小野上北斜坑跡付近まで一気に端折った。
天気はすこぶる良い。

当然といえば当然だが、昨日と何一つ変わっていない風景である。しかし何だか奇妙な違和感を覚えるのは私だけだろうか。

正面少し左の樹木、周囲の木より若くないだろうか

もう少し下の段まで行ってみる。
やはり一部分だけ木の背丈が低いように見える。

工事誌の記述と航空写真から、斜坑は八木沢を橋で跨いだところにその坑口を築いたものと思われる。しかし行ってみた限りでは畑のすぐ脇に沢など流れておらず(もっとも八木沢は涸れてしまったので分からなかっただけかも知れない)、もう少し斜面の方に食い込んだところに斜坑があったのを埋め、そこに植林したと考えるのはどうだろうか。

人の家の畑だと思うので踏んでいくわけにも行かず、斜面の方まで近づいて調べることはしなかった。
地形的な要素以外に往時を偲ばせる物は全くないと記したが、この写真の擁壁だけはちょっとした発見であった。
正確に関係があるとも無いとも言い切れないところはあるが、榛名トンネル中山トンネルの工事現場、そしてその取付道路の拡幅工にはほとんどこのタイプの法面が見られるのだ。

近い年代の構造物は概ね近い意匠になる、という知見を得たわけである。当たり前のようだが、恥ずかしながらTT探しの手がかりになるとはこの時になってようやく気づいたのだった。



さて、小野上北工区から少し行くと急勾配かつヘアピンの難所となるのだが、それを登り切って別の道を少し下りかけた所にこんな異様な場所がある。
もの凄く背の低い電線が道の両脇に張られ、V字型のアンテナのような柱もたくさん立っている。何か良からぬものを見てしまったようで、正直こういう感覚は苦手だ。

冷静になれば何のことはない、頭上の特高圧送電線と道路との間隙が規格外に少ないため、誘導電流で感電しないようにアースする設備だったのである。
送電線のサイズからすると27万5千Vのものでそう大きくはないが、この距離だと「ブー」とか「ジジジー」といううなりが聞こえる。

…やっぱり何となく怖い。
あまり電線の下にいると体に悪そうなので長居しなかったが、それでもここからの渋川・前橋市街方向の眺望は素晴らしい。まさに「スペクタクル」である。

そしていつの間にか自分が意外なほど高い所にいるのに気づく。
上越新幹線300m以上も下の地中である。
「よくこんな場所にトンネルを通したなぁ〜…」
思わず口をついて出た言葉が、偽らざる感想であった。






四方木立坑周辺
いよいよ懸案の四方木工区へと向かった。
前日はこの設備を見てそれなりに納得して終わってしまったのだが、改めて航空写真で確認すると立坑は県道沿いではないことが分かった。
この構造物は、県道の新道と旧道に挟まれた三角地帯の中にある。従って答えではない。

この写真の位置から少しだけ盲腸のように分岐した道路がある。

その道路を下っていった時、私は遂に叫んでしまった。




うおおおおおおおおっ!?

本当にただ一人、絶叫してしまった。
まさか立坑エレベータのヤグラ付きで現存しているなど夢にも思わなかったからである。

最も深い四方木立坑372m、ここに残存を確認。












うーわー。
すごい。すごいすごい。
ちゃんとワイヤーで吊られたケージがある。
工事用のエレベータというものを見たことがなかったのでただひたすら感動していた。巻き上げ機は屋上ではなくて脇にあるわけですな。

ただ今ひとつ構造的に謎なのは、ケージが台車のような物に乗っかっていることと、その台車が取り込まれるとおぼしき手前の白い建物の存在である。






しかもこのケージ、普通のエレベーターのカゴのように密封式でもなく、かといってハリウッド映画のアジトに出てくるような網目張りのスカスカでもない。
外観は物置そのもの。サッシ窓なんて何に使うのだろうか。

ここまでの写真に写っている銀色の車は、そう古い年式ではなさそうだしちゃんとナンバーもある。ということは、今もって現役であることの証とは言えまいか。

(今文章を書きながら、台車はケージを使わない時に落下を防ぐための物ではないかと思いついた。おそらくケージが動く前に台車が白い建物に引っ込むのだろう。我ながら気づくのが遅い)
台車の下にはちゃんとケージが入る分だけの角穴が開いていた。誤って落下したらそれこそ奈落の底である。
とは言っても、たまたま時間が合わなかっただけかも知れないが、耳を澄まして待っていても特に新幹線独特の物音は聞こえてこなかった。

この穴が、上越開業を巡る無数のドラマを生んできた。そしてその場所に今、自分自身が立っている。

感無量である。





脇にあった建物の入口には「高山揚水場」とだけあり、新幹線がらみの施設であることが分かる表示は何一つ無かった。

実はこの施設自体はオリジナルの物ではなく、渇水補償のため旧四方木立坑の底に設置されたタービンポンプのメンテナンス用として作られたものであった。

ちなみに、最初に立坑と間違ったコンクリートの構造物は、立坑掘削時に湧水を逃がすための深井戸(ディープウェル)を、これも渇水補償用に整備した物であるらしい。
一連の施設は高山村に譲渡されたので、表示がないのは仕方ないのかも知れない。
高山立坑周辺
ここも前日に続いて再訪し、新たな発見に期待した。しかし目立った成果はなかった。
写真は、工事用道路のどん詰まり。何やら資材の端くれのような物が積み上がっているが、中山立坑跡地のようにただの産廃を投棄しただけとも考えられる。

前日に見たコンクリートの貯水施設は、四方木と同じく立坑掘削時のディープウェルを農業用水用に存置した物である。従って立坑本体ではないらしい。

高山立坑が残っていないのは意外であった。というのは、立坑にほど近い109k536m新高山SSPがあるからである。メンテするためには本坑を7kmも歩かなくてはならないのだろうか(位置的にトンネルのど真ん中)。
名胡桃工区(北坑口)周辺
時間が押していたので産廃置き場の中山立坑跡をスルーし、天候の理由で行かなかった毛高原方の出口を撮影することにした。
航空写真で見たように土被りの浅い部分が相当あり、開削工で施工された。
写真はそのほぼ中間地点。護盛土は山の付け根のあたりまで延びていそうだ。











まだ顔を出さない。
生活道路が分断されて、仕方なくトンネル上部を弓なりに跨いでいるようだ。冬場は嫌な道になりそうである。

















ようやく出口が現れた。
苦闘の歴史を背負っていることなど全く感じさせない無表情な坑口である。ネームはあるが扁額はない。もうちょっと飾ってやっても良かったのではないか。
高崎方の坑口には扁額があるらしいが、場所が場所だけにきちんと見れるのは新幹線の運転士ぐらいではないだろうか。











坑口より上毛高原方を望む。
手前にある建物は新上毛高原SSPである。

新幹線は、有名なアーチ橋の谷川橋梁を渡り、黒岩トンネルを抜けて上毛高原駅に到達する。














中山トンネルから抜けてようやく外部と連絡できる最初の非常である。
小野上南横坑にあったのと同じような注意書きが見られる。

















やはり…。
トンネルのほぼ全長にわたって非常口が存在しない。
何度見てもがっかりする標示である。
中山トンネル上毛高原に向かって12‰の上り片勾配なので、万が一加速できなくなっても惰性で下ることができるということだからだろうか。同様に、野新幹線碓氷峠にある長大トンネル群も、中間に非常口は作られなかったという。

ところで右隣の数字が異様に近いのだが、高架下のトンネル巡回車基地からの出入口があるためである。



こうして2日連続で行った取材は、予想外の収穫を得て終了した。
しかし、まだ全てを見ていない。
中山トンネル工事で水を抜いてしまったことの代償は、あまりにも大きかったのである。

次回、第五章最終回
山中に人知れず稼働し続ける渇水対策設備に迫ります。



第六節 三十余年の闘い へ続く

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