Treasure Reports
第二編 上越新幹線(大宮−新潟)
第五章 中山トンネル

第五節 現地を見る(1)

長丁場

2006年の秋晴れの日、1回目の取材を敢行した。
朝6時半に家を出ても、旅程最初の訪問地である榛名トンネル高崎口には10時半の到着となった。こんな長時間のドライブは初めてのことである。

そして中山トンネルには13時半頃に着いた。
午前中は快晴だったのだが、どんどん雲が増えていった。これが最後に思わぬ伏線を張ろうとは夢にも思わなかったことであるが、それについては後で述べる。

南坑口周辺
この日は中山トンネルの坑口を撮影できるうまいポイントが見つからず、吾妻川橋梁を撮影しただけで終わった。
ご覧のように非常に高い位置を一見ごく普通の高架橋の態をなして跨いでおり、面白い。しかし車内からだと連続した高架壁が続くばかりで、代わり映えしなさそうである。
正確には、左端に少しだけ見えているディビダーク(やじろべえ)工法のPC橋216mのみを妻川橋梁と呼ぶようだ。








国道から鋭角に分岐する細い坂道を登っていき、枝分かれする道を丹念に探っていくと、ご覧のような場所を発見した。

大体想像は付くのだが、それでもこの場面の高揚感はたまらない。

はやる気持ちを抑えつつ坂を下りる。













やはり小野上南横坑の入口のようだ。
しかし門扉番号の掲示がない…





















左に振り向くと横坑口があった。
門構がなくパイプを突き刺したような簡素な形状だ。しかし降雪地域だからかどうか、入口の扉の作りは東北より頑丈そうである。実際、福島トンネルの斜坑などは扉が外れんばかりに叩き付けられる音がするが、上越関連のトンネルではいずれも「ひどいすきま風」程度であった。

入口の右側は独立した扉が付き、倉庫のような建物に繋がっている。どうやらトンネル巡回車の基地のようだ。







横坑の扉にズームイン。

いろいろな情報があるが、まず注目すべきは左の「見通し不良区間」だ。
これこそ、紆余曲折の末の急曲線が介在する区間を意味する。

そしてこれから自分の行く先に暗雲を立ちこめさせる標示が、、、













これ。。。
(いや〜12倍ズームって凄いネ)

ご存じでない方もいると思うが、これは非常用や保守用の門扉の位置を表したもので、キロ程を指している。真ん中の数字はこの横坑とトンネル本坑の交点のキロ程で、左がそれより起点方の、右が終点方の最も近い門扉位置である。

この横坑はトンネル入口から130mの地点にあるので、101-9は入口のことだろう。しかし、右隣は、116-8
ってことはエーと、全長が14.8kmだから、出口まで何にもないってことかっ!…orz

他のトンネルは約2キロに1カ所現役斜坑があったりするが、見事に裏切られてしまった。経緯を考えれば致し方ないのか。

横坑のゲート前で右を向くと、何やら溜め池のような物が。
特に表示はないものの、配管は明らかに横坑から延びている気配である。



















開業の翌年に造られたようだ。
工事誌によると「宮原調整池」という名前で、容積は1000m^3。渇水補償事業の一環で整備され、八木沢下流の地域に送水しているもようだ。

















小野上北斜坑周辺
一つも立坑が残っていないという状況で、開業より前に消滅した小野上北斜坑に至っては何をか言わんや、である。

案の定この場所も2回通り過ぎてしまって確信するのにしばらく時間を要した。道路が改良されてカーブが少なくなったのも見当を外した原因ではあったが。

それとなく分かるのはこの土地の向いた方角である。ただそれだけが往時と変わらない。右手にある民家は結構古びていて、当時の状況を知っていそうな気はするが、時間が押していたこともありとうとう尋ねなかった。





四方木立坑周辺
四方木立坑があったとおぼしき場所に行くと、目に飛び込んできたのはこのコンクリートの構造物であった。

柵で囲ってはあるものの、特にこれといった表示はない。
四方木立坑は渇水対策のため揚水設備として残されたとあるので、この場所で正解なのだろうか。それにしても地味な雰囲気で、一大事の舞台とは到底思えない。
年月とはそういうものなのだろうか。








別角度からもう一枚。
写真写りはいいが、このあたりから徐々に、そして確実に天候は悪化していった。




















高山立坑周辺
峠を一つ越えてなだらかになった丘陵地帯にその場所はあった。
後ろに見えるのが小野子山である。写真は南西方向に撮影している。

ここも四方木と同様に、貯水槽のような構造物と若干の電気設備がある。

頭上にどんよりと雲が覆い被さった結果、ものすごい逆光になってしまったので相当量のガンマ補正を掛けてある。それでも被写体は暗い。







施設自体は高山村が管理しているようだ。
この場所で直接給水もできるらしい。

四方木でも思ったのだが、立坑があったにしては規模が小さくないか?















揚水設備の一段上に何やら建物のような物があったので行ってみたが、独特の臭気を放つこの施設は堆肥を積んでおくための物だった。夏はさぞかしきつかろう。

それにしても何でこんな場所に…?














これもやはり工事現場跡の活用策の一環なのだろうか。
開業2年後にできたということを考えると無関係ではあるまい。



















中山立坑周辺
十二平の突き当たりに行くとこの有様だった。
コンクリートで固められた地面は当時の名残かも知れないが、実質ただの産廃置き場と化している。
くず鉄に砕石の山、廃トラックなど、およそ見ていて気持ちのよい物ではない。どこかに当時の構造物の鉄骨などがないか探し回ったが、特に成果はなかった。











産廃置き場の脇を通る赤根峠越えの旧道。
その脇に巨大な岩がたくさん並べて置いてあった。
トンネル工事で出てきた転石なのか、これも単なる産廃なのかは判然としない。

















中山立坑跡地で写真を撮っていたら、遂に雨が降り出してきた。雷も鳴っていたので退散する他無い。
月夜野に降りたが雨はひどくなる一方で、名胡桃の坑口は撮らず、その後月夜野〜大清水トンネルの調査に行ったものの天候は回復しなかった。
道の駅みなかみでしばし休憩し、このまま帰るか翌日も調査するか、悩んだ。初めての長距離ドライブで疲労が蓄積しており、土日を完全に潰すことは平日の仕事に悪影響が出ることを意味していた。しかし、そう簡単に来れる場所ではないこともまた然りであった。

15時半、意を決して前橋に宿を取り、翌日再調査することにした。
関越道に乗り、榛名山SAに立ち寄ると雨が止んで虹が出ていた。

次回、翌日の再調査へ。そして大収穫



現地を見る(2) へ続く

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第二節 災禍の正面突破 へ
第三節 挫折の曲線 へ
第四節 事前調査 へ

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