Treasure Reports
第一編 東北新幹線(東京−盛岡)
第一章 福島トンネル
最終回
第五節 全てを見たい

東京起点238k985m付近
まず、皆さんに思い出していた
だこう。

これは第三節で見に行った後座
内地区の写真である。
この開削区間(実は工事誌では
開削があったことに触れておら
ず、「東北新幹線地質図」という
別の本に載っていた)は桑原工
区にあたり、その末端が安達北
工区との接点のはずである。
つまり、この写真にその答えが隠されている。

といっても、松川の消えた立坑や、同時期の桑原立坑のように目立った建物は見つからない。

確実に怪しいのは、開削部分の西側の道路の延長線上に接続する田圃のような場所である。この区画だけ少し色が違うのが分かる。
線路に異常に近いということから考えると妥当な推理とはいえまいか。
行ってみて驚いた。
湛水しているっ!?

航空写真では存在しなかった溜め池である。
まさか立坑の跡に溜め池?
跡形もなく田圃になっただけで結構な驚きなのに、トンネルまでの深さがそんなにないのに、上に水を張って大丈夫なのか?

…いや。それはない。
この溜め池の造作はあまりに自然すぎる。トンネルの上に作るのならもう少ししっかりした構造をもって整備されるに違いない。
それに記載されていた13×10mという大きさからはかけ離れている。どう見ても横幅が20m以上あるのだ。

しかし場所的にこの近辺であることは間違いない。
なおも探索してみると…
ん?ナンダこれは。

その溜め池のすぐ隣にあった側溝の擁壁。
何でここだけ鉄製なんだ?

最初は、どこかから廃材を持ってきて適当に置いたんだろうと思ったのだが…
何故か側溝に面していないこちら側にも続いている。
上に盛られた土砂の形がいびつなせいでなかなか信じられなかったのだが、どうもこの鉄の壁、
四角につながっている

東北本線はすぐ脇であるし、その推定される四角形の大きさは、まさに工事誌の説明と酷似している。
とすると、これはもう、ここしかないのではないだろうか。

仮設立坑、発見。
いろいろ調べてみると、このスレート屋根のような部材は「鋼矢板(シートパイル)」と言い、護岸工事などで土留めに使う物のようだ。さらに、開削トンネルで両脇に打ち込み、その中を掘り下げる工法がある、ということも分かった。
したがってこの鋼矢板は、トンネルのレベルまで深く打ち込まれている可能性がある。
立坑の上は、土地利用されているのかどうか全く不明な状態だ。

この無造作に生えているのは桑の木で、養蚕の盛んだったこの近辺では全く珍しくも何ともない植物である。なので、意図的に植えたのか勝手に生えてきたのかは判別できないのだ。
立坑上から桑原工区の開削地点を望む。
さっきの溜め池では少し線路からずれていると感じたが、このラインならまっすぐである。

折しも新幹線が通過していったようで、足下がゴウンゴウン…と音を立てた。
土被りがトンネル全体の中で最低レベルなので、はっきりと分かる。
立坑の桑の木を避けて在来線に近寄ってみる。
この直下を切羽が通過したとき、路盤は最大で100mm沈下した。その分をバラストの補充でしのいだという。
帰り際に撮影した金太郎。

東北本線もこの三十年で大きく変化した。もっとも私は東北新幹線と同い年だから全盛黄金時代は知らない。しかしこの数年で、黄金時代の名残と言うべき昭和40年代の名車が次々と姿を消している。

それだから、この三十年間、全く変わらず、誰にも気づかれずに仮設立坑が残っていたことに感慨もひとしおであった。

福島トンネル まとめ
本サイトでは、1つのトンネルのレポート後、発見された構造物の位置・諸元などをまとめて掲載する。
本文中では触れられなかった点についてもできるだけ細かく、調べのつく限り書いていきたい。

なお、本レポートおよび今後の閲覧時に、お客様各位には次の点に注意願いたい
工事キロ程と実キロ程である。
たとえば福島トンネルは、工事キロ程が236k235-248k940で、実キロは第一節に書いたとおり237k871-249k576と異なっている工事キロ程とは文字通り工事中に使われる数値であり、実キロは開業後に正確な路線長を計って振り直した数値である
工事は常に起点方から始まるとは限らず、またルート変更などが起こると変わってしまうため、このようなずれが生じるのだ。
レポートでは、工事誌に基づく調査を行うため原則的に工事キロ程を使用する。そして、この総覧において、実キロとの差が計算できる場合は(まれに工事誌が誤植をしていたり、実キロが推定できない物がある)、それを表示することで解決していきたい。
実はこの食い違いのおかげで時間を丸損したことがあるので、現地調査をされる方は特にお気をつけあれ。
名称 福島(ふくしま)トンネル
全長 11705m
工区数 6(4+2)
総工期 1972.6.23〜1977.5.30 4年11月
状態 供用:1982.6.23〜
摘要 斜3立3(現用:斜3立1)
名称 福島トンネル 出口
位置 工:247k940m 実:249k576m<地図>
工区 平石(ひらいし)工区 2580m
工法 底導先進、頂導先進、サイロット他
工期 1972.6.23〜1976.5.31 3年11月
状態 供用:1982.6.23〜
名称 幸道(さいどう)斜坑
位置 工:244k760m 実:246k396m<地図>
取付 斜坑306m 勾配1/8 交差60°本線右
工区 幸道(さいどう)工区 2360m
工法 上半先進タイヤ、底導先進上半
工期 1972.6.23〜1976.5.31 3年11月
状態 供用:1982.6.23〜(非常口、保守)
名称 石合(いしあい)斜坑
位置 工:242k780m 実:244k416m<地図>
取付 斜坑219m 勾配1/4 交差30°本線左
工区 石合(いしあい)工区 2200m
工法 底導先進上半
工期 1972.6.23〜1976.8.31 4年2月
状態 供用:1982.6.23〜(非常口、保守)
名称 松川立坑(仮称)
位置 工:241k420m 実:---k---m<地図>
取付 本線上 --×--m 深さ20m
工区 石合(いしあい)工区 2200m
工法 上半先進レール
工期 1972.6.23〜1976.8.31 4年2月
状態 廃止 埋め戻し 圃場整備
名称 桑原(くわばら)立坑
位置 工:239k840m 実:241k476m<地図>
取付 本線上 25×11m 深さ--m
工区 桑原(くわばら)工区 1700m
工法 上半先進レール、明り巻
工期 1973.7.1〜1976.8.31 3年1月
状態 供用:1982.6.23〜(新安達SSP、保守)
名称 後座内仮設立坑(仮称)
位置 工:238k985m 実:---k---m<地図>
取付 本線上 10.9×13.5m 深さ14m
工区 安達北(あだちきた)工区 2300m
工法 頂導先進丸形切拡げ
工期 1973.10.5〜1976.8.19 2年10月
状態 廃止 埋め戻し
名称 後座内(ござうち)斜坑
位置 工:238k385m 実:240k016m<地図>
取付 斜坑190m 勾配1/4 交差60° 本線右
工区 安達北(あだちきた)工区 2300m
工法 底導先進上半
工期 1973.10.5〜1976.8.19 2年10月
状態 供用:1982.6.23〜(非常口、保守)
名称 福島トンネル 入口
位置 工:236k235m 実:237k871m<地図>
工区 安達南(あだちみなみ)工区 565m
工法 底導先進上半
工期 1973.10.19〜1977.5.30 3年7月
状態 供用:1982.6.23〜

後記
ようやく一つのトンネル分が書き終わりました。
正直ここまで時間を食うとは思いませんでした。7ページ、写真60余枚。
不慣れなこと、語彙力の乏しいこと、前例のないことが災いして執筆は思うようにいかず大変でしたが、何とか完結できたことはうれしく思います。
福島トンネルの調査を始めてから丸三年、HP立ち上げを思い立ってから一年が経ちます。
当初はこの福島トンネルだけでやめておくつもりだったのですが、調べれば調べるほど出てくる謎に引き込まれてしまい、ついに東北・上越全トンネルの調査に乗り出すという暴挙に出てしまいました。
私を突き動かすのは、当然自分自身の「欲」、そして今こうしている間にも、誰にも顧みられることなくどんどん風化してゆく構造物の数々を放ってはおけないという、ある種の「使命感」かも知れません。

次回からはいよいよ、上野第一トンネルからのレポートが始まります。

−終−

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