Treasure Reports
第一編 東北新幹線(東京−盛岡)
第一章 福島トンネル

第二節 セスナは見た

上は、「鉄道ジャーナル」1977年9月号(通巻127)p62に掲載された計画ルートを元に作図したものである。

福島トンネルは、記録によれば1972(昭和47)年6月23日(奇しくもこの日付は、東北新幹線暫定開業日のちょうど十年前となる)に起工し、5年後1977(昭和52)年5月30日に完工している。
鉄道誌の月数表記が2ヶ月程度早いことを考慮しても、発行時点では既に完成しているはずなのだが、本当に完成時は8kmだったのだろうか?
ところが開業後の「鉄道ジャーナル」1982年9月号(通巻187)p30の表によると、福島Tは11,705mになっている。各紙の表記は二転三転し、「鉄道ファン」1982年7月号(通巻255)p49には11705mとあるものの、翌8月号の巻末付録ルートマップには福島Tが8090m、安達Tが3590mとなっており、一体どれが正確な記述なのかさっぱり分からない。

長さが伸びたり縮んだりする理由は何なのだろうか。
いくつかの仮説を立ててみた。

(1)実際に2〜3個の別のトンネルとして建設され、明かり区間がある
(2)別々のトンネルだったが、何かの理由で1本のトンネルにしてしまった
(3)最初から1つのトンネルとして施工した

(1)は、実際にこの区間を何度か乗ってみればまず考えにくいが、ほんの瞬間の明かり区間を見逃していないとも限らない。

(2)は、シェルターなどで繋いでいる可能性も否定できず、あり得る話である。しかし、他の同様なトンネルは独立した名前を持っており、繋げたところでトンネルの物理的な個数は変わらないのではないか?という点で疑問が残る。

(3)は、もしそうだとするとプレス発表の時点で間違っていたことになり、開業前に出回った資料は何だったのかということになる。

そんな疑問を募らせて十数年が経ったが、2002年頃に国土交通省の空中写真閲覧システムが稼働するに至り調査の足がかりができることになった。
問題のトンネル付近の空中写真は1975(昭和50)年の撮影であることが分かった。つまり施工中のトンネルの様子が撮影されているはずである。 


さて、それでは福島トンネルの空撮を北から順に追ってみよう。
(写真にマウスポインタを重ねると解説が現れます)

このあたりは平石地区といい、第一節で述べたように、東北本線の福島盆地への取り付き方がおもしろい場所である。
画面左の築堤が東北本線下り線、中央を橋で渡るのが上り線である。
この谷地を埋めるように、トンネルの土捨場が広がっている。土砂の量は相当多いように見える。
トンネルの坑口付近には特にこまごまとした物が見受けられないが、掘り終わったのだろうか?
また、山陽新幹線岡山開業時に問題となったトンネル微気圧波対策の緩衝工はまだ設置されていないようで、オーソドックスな入口部分が見えている。

この場所は、地図閲覧サービスでは福島南部[南東]で確認できる。
国道4号線や東北自動車道も集まる交通の要衝である。


次に気になる構造物が散見される場所は金谷川付近である(写真ロールオーバーで解説表示)。
画面左下に東北本線が見える。ここも勾配緩和のため上下別線になっている。上り線は道路を跨ぐが、この道路は当時の国道4号線であり、この写真に現国道は写っていない。現国道は昭和58年に暫定2車線で開通し、4車線化した現在も福島市伏拝から旧安達町油井まで約15キロにわたって信号機が一つもない「高速道路並」の規格となっている。
話がそれたが、その旧4号を跨ぐ上り線の橋こそ鉄道写真家に名高い"お立ち台"こと「金谷川の鉄橋」である。この鉄橋を過ぎて少し東に進んだ地点が福島トンネルとの交差部になるのだが、その近くに円で囲った謎の構造物がある。これは何だろうか。
写真の東側には2カ所の土捨場とおぼしき盛土ができていることから、トンネルの中間工区ではないかと思われる。しかしこんな線路際に何かあったかな・・・?高校時代は毎日列車で通った場所だが、まるで思い出せない。
1/25000地形図は上の北坑口と同じページにあたる。

最新版の地図ではこのようになる。
30年も経つと道路の変わりぶりがすさまじく、航空写真と食い違う例も少なくない。
この場所ではないが、実際に写真を頼りに現地へ行ったところ、道の消失に気づかず(困ったことに道路地図にもその道は描いてあるのだ)迷ったことが何度もある。それが原因で「トレジャー」の発見に失敗した例がいくつかあるのだが、それはいずれお話しすることになるだろう。
ハゲ山でも木が生長してふつうの山に戻ってしまうほどの歳月は、甘く見てはならない。

どんどん南下していこう。
次にあやしい箇所は松川町石合というところにある。−いや、正確には「あった」と言わなければならない。
この場所は、二本松[北東]および下の地図に示すとおり、「美郷ガーデンシティ」という大規模な住宅地が整備されて地形が大きく変わった。町の名前も石合ではなく「美郷」という地名が新たに作られた(石合自体はまだ存在する)。
航空写真の地形などは見る影もなく、また道路の位置や広さもほとんど異なるようだ。現地取材は非常に厄介そうである。



ところで、航空写真に注釈を入れたが、この場所は鉄道史上忘れてはならない過去を持っている。
1949(昭和24)年8月17日未明、東北本線松川−金谷川間(東京起点261k300m現下り線)を走行中の上り第412列車(青森発奥羽線回り上野行)が脱線転覆、乗務員の死者3名を出した「松川事件」である。下山・三鷹事件と並び戦後の三大事件といわれ、特にこの松川事件は「冤罪」という点であまりにも有名になってしまったものである。
事件そのものについては深く触れないが、発生から60余年が経過したにもかかわらず、誰が何のために起こしたのか未だに謎が多い。
ちなみに、下り線には現在大きな石碑が作られているのだが、それまでは殉職者を弔ったお墓と保線用の櫓があるだけで、先に作られた上り線側の記念碑(松川の塔というらしい)の方が高さもあって目立つため、過去に事件現場として上り線のほうがマスコミに取り上げられてしまったことがある。
もし現場を電車内から供養をされる場合は、下り線の方だということを留め置き願いたい。
(最近出された本で「松川駅を通過中に脱線」などというあまりに事実誤認の過ぎる内容があるので注意されたい)

話の脱線ついでに、この事件で被災した412列車は、改正前は402列車だったそうだ。そしてこの402列車は、なんと前年の
1948年4月27日「庭坂事件」のターゲットにされてしまった因縁の列車なのである。もっとも、庭坂事件と松川事件は手口がよく似ており、松川事件の予行演習だった可能性を指摘する人が多い。

次はいよいよ、冒頭の「謎」に迫る核心の場所である。
1/25000地形図は上と同じページとなる。

明らかに他の場所とは様子がおかしい。
トンネルが通っていると思われるライン上の土地が何か掘り返されたようになっているのだ。
明かり区間にしようとして、後になって埋めたのだろうか?
とすると、この区間のトンネル深さはかなり浅いことになるが・・・。

画面左上方には土捨場があるので、ここからも掘削が行われているようだ。特に直接トンネルに達しているように見える穴とおぼしき場所が見えるので、ここが現場なのだろうか。

計画図に1つ挟まった短いトンネルは、どうも画面中央の山を貫通するものと考えて良さそうである。山を挟んだ南側にも同様に何かを埋め立てたような痕跡があり、この部分が明かり区間となる3本のトンネルが何となく想像できるではないか。

結果的には全てを埋めてしまったので1本ということになるのだろうが、果たしてどの段階で1本になったのかは気がかりな点である。





そろそろ長文に飽きたころと思うが、今しばらくおつきあい願いたい。
東北本線とクロスして東側に出てから少し南下したところにまた工事現場がある。
この場所は既に知っているところで、現在も斜坑が残っている。おそらく沿線中で唯一、幹線国道からよく見える場所にあるためである。
今と当時とでは道路事情があまりに違うため。注釈に道路も加えてある。

幼い頃によく親戚の叔父(故人)のドライブで福島トンネル南口に連れて行ってもらった際、「あそこにもトンネルがあるんだよ」と言われてついでに立ち寄ったことがあった。しかしそのころの自分は「見えない新幹線」にはさっぱり興味がなかった。それから十数年経ってこの分野の面白さに気づき、より深く深くのめり込んでゆく事になろうとは夢にも思わなかったことである。

写真に写る生コン工場は今も稼働している。
東北本線を跨ぎ(当時は下り線側だけが踏切だったようだ。この場所は全線中もっとも遅い時期に複線化され、勾配がきついためタスキ線増をしたのである)、工事現場に向かう途中のトンネルと交差するあたりの場所(注釈の円内)にも何やらありそうだ。
現場への近道とおぼしきルートもあることから、無関係の構造物とは思えないのだが…。
1/25000地形図は二本松[南東]となる。


ようやくラストの福島トンネル南口にたどり着いた。
線路はすぐに阿武隈川を渡り、反対側に控える安達ヶ原トンネルへと進む。
出口は高架橋が取り付いているので割と高い位置にある。
しかし福島盆地の底からじわじわと100m以上を登ってきた場所だとは、にわかには信じがたい。

写真ではこちら側の坑口にもまだ緩衝工は設置されていないようだが、下の地図では緩衝工の部分とトンネル坑口の部分がはっきり分けて描いてあり、興味深い。

(現在、緩衝工の延伸によりまた表情が変わっている)



第三節 現地を訪ねて(1) へ続く

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