Treasure Reports
第一編 東北新幹線(東京−盛岡)
第一章 福島トンネル

第三節 現地を訪ねて(3)

二本松市(旧安達町)渋川後座内付近
今回は、「明かり区間」の存在が疑われる場所の後半からお伝えする。
この写真は、航空写真の上1/4位を東西に走る道路から新幹線の郡山方を向いて撮影したものである。
ごらんのように一定の幅の用地が続いており、両側には鉄道用地境界標が並んでいることから容易にその存在を知ることができる。
一部は田圃や畑になっているものの、大部分はただの草地になっており、あまり利用価値がないように見られる。
もっともトンネルはそう深くないところを通っているはずなので、不用意に掘り返されたり何かを建てられたりしないようにしているのかも知れないが。
上の写真の反対側を望む。

航空写真にも写っているが、延長線上には家屋があり、もしここを明かり区間とした場合は移転を迫られる事になったのではないだろうか。
もう少し南に下がった場所の様子である。
航空写真では気づかなかったが、用地を挟んで東西にある道は高低差があり、用地自体は微妙な傾斜となっている。
工事とは直接関係なさそうな廃材やヒューム管、U字溝などが野積みになっていた。

トンネルのほぼ中心線に立っているはずなので、列車が通るたびに「ゴンゴンゴンゴンゴン・・・」と地鳴りするのが面白い。
今日もまた何万人という人を運び、走り続けるのだ。頭上に自分がいるなんて誰が想像するだろうか。
「明かり区間」の南端である。
用地境界標はここで区切られている。

新安達SSPのあった北側とは違い、単に境界標で囲まれた荒れ地があるだけだった。
割とつまらない風景に思われるかも知れないが、実はこの場所には驚くべき遺構が残されていたのだ。
それはある資料を発見してからの再調査で発見されるのだが、これについては後で述べることにしよう。



二本松市(旧安達町)渋川後座内付近
タイトルを間違えているわけではない。「後座内」の地名の範囲が広いのだ。

ここには、筆者も昔から知っている斜坑がある。
その斜坑と周囲の状況について
触れていくことにする。
まず外観を見てみよう。
ふつうのトンネル坑口かと思うくらい、立派な構えである。
周囲は雑草が伸び放題で荒れてはいるが割と開けており、当時の設備群があった場所を彷彿させる。
この場所から振り向くと国道4号が見える。前にも書いたが、国道から見える唯一の斜坑なのだ。ただしアプローチがわかりにくい道なので、アクセス性はよろしくない。
正面に立ってみた。

これまでの写真と時期が違うが、これは夏に撮ったものだ。
廃線歩きもそうだが、草が生い茂る時期は取材が困難となり、蜂、虻、蚊などに苦しめられる。
従って大体の写真は雪解け〜梅雨前に撮ったものとなるが、取材の都合で仕方なく真夏の撮影になることがある。

「あぶない」というが虻はうようよいるのだ(マテ
下手に車の窓を半開きにしていると車内に1匹はいたりする。
これは当然不法侵入ではなく、門扉の施錠部分の隙間にレンズを入れて撮ったものである。
名前は付近一帯の地名と同じく「後座内(ござうち)斜坑」というようだ。
「内」を「ない」と読むか「うち」と読むかはその地区内で大体揃っている。「ない」と読む所はアイヌ語の影響があるようだ。

ちなみにいろいろと調べてみると、斜坑の名前は「出口のある場所」か「本坑との交点がある地上の地名」をつけるのが一般的なようだ。
さて、航空写真に注釈を入れたとおり、この場所には小規模の道路付け替えがある。
正面にあるのは、おそらくトンネル工事にも関わり今も操業している生コン工場である。
左の道が新しくできた跨線橋への道、右が旧道となる。
右の道をどんどん進むとやがて工場に行くだけの行き止まりとなるのだが、なんと踏切が撤去されているにもかかわらず「踏切あり」の標識が残っていた。
今はどれほど存在するかも怪しい蒸気機関車の標識だ。
道路の本当の末端。

手前の下り線側を踏切で跨いだ後、掘割の下にある上り線を橋で越えていたようだ。橋は撤去されたのか存在しない。
タスキ線増区間でのこのような事例は、IGR(旧東北本線)厨川−滝沢間にも見られる。そちらは現役だ。
上の場所を反対側から撮影したものだ。
橋台らしき物が出っ張っている。

二本松市(旧安達町)油井付近
いよいよラストの場所、福島トンネルの東京方坑口だ。

前にも話したが、ここは小さい頃から足繁く通った場所である。
90年頃までは全部同じ顔の200系だけだったが、「やまびこ」と「あおば」で速度・両数が違ったのでやまびこが来ると大喜びし、あおばでがっかりするというパターンだった。
それから2階建てのH編成、400系つばさなど仲間が増えた時点で一旦新幹線ウォッチングから遠ざかる。
10年ほどのブランクの後、思い出したようにこの地を訪れたときは既に「E系列」の天下となっていた。
思い出話はそのくらいにしておこう。

坑口の両側にアプローチ道路があるので眺めるのは比較的簡単だ。
ご多分に漏れず高い柵で囲まれており、やはり撮影向きではない。
反対側の阿武隈川橋梁を望む。
高架橋の下にはトンネル巡回車の基地があるようだ。
反対側は取り付け道路と線路の間に少し距離があり、その間はごらんの有様。
北坑口と異なり、非常に立派な扁額が填め込まれている。
そして緩衝工も違いが見られる。こちらは全長がスレートでできているようで、コンクリートによる延伸工は存在しない。
計画次第では別の名前の短いトンネルになっていたかと思うと、何とも複雑な思いがする。


以上で一通り現地を見て回ったことになるが、実はこれで終わりではない。次回以降、新たな発見と追加取材、そして最終的なまとめを発表していくこととする。


 第四節 真実との対面 へ続く

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