福島トンネル北口付近
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まずは福島方からスタートする。
新幹線の高架が緩やかな曲線
を描いて山の麓に向かっている
様子が分かる。
一見、高架が下り勾配になっ
ているような錯覚を感じるが、
実際には線路はレベルであ
り、撮影場所の地形全体がなだ
らかな上りなのである。
高架を挟んで西側(右手)に少し
写っているのが東北本線の下
り線で、かなり巨大な築堤によ
って盆地へと降りていく。
左奥に見える橋が東北上り線
だ。 |
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上り線を望遠で捉えてみる。
手前に電線がかぶってしまったのと、橋自体が10‰の勾配なのと、自分のいる場所自体が上りなのとでいまいち水平の取れない写真になってしまった。
橋の奥に見える広大かつ水平な土地が、福島トンネルの残土捨場であると思われる。 |
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高架脇の側道を行けば、そのままトンネルのそばまで行くことができる。
反対方向を写すと、ごらんの通りの景色が開ける。
右に少し見えるのが信夫山だ。左奥あたりの山々は吾妻連邦や奥羽山脈の一端である。
ちなみに、中央に車が止まっているが、そこが上り線側の非常口にあたる。この場所は地元の人の隠れた名所とでもいうべきか、週末は必ずと言っていいほど子供連れの人が見に来ているのだ。
インカーブで良さそうなロケーションではあるが、新幹線の撮影自体にはあまり適さない場所である。 |
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だから適さないって言っ(ry
福島停車列車でも、この場所では結構な速度が出ている。 |
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さて、福島トンネルの坑口であるが、10mほどのスレートタイプの緩衝工と15mほどのコンクリートによる延伸工?がついており、本来の坑門には扁額もなく無味乾燥とした外観である。
もっとも、他のトンネルにある扁額も緩衝工のおかげでほとんど見えなくなっており、もったいない気がする。いっそのことトンネルの脇に設置してはどうだろうかと思うのだが。
ところで、トンネル微気圧波対策の緩衝工なのだが、その「トンネルドン」を若干聴くことができる。
もっとも、以前TVで放送された山陽新幹線のアレのような炸裂音ではなく、重低の「ズン」という音だ。
不思議なことにE3が先頭でやってくる<こまち>より、E2単独の<やまびこ>の方がひどい。
E4は全く感じないので、あの先頭形状がきちんと機能しているということなのだろう。 |
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さらに上に行くとトンネルの真上になる。
かなり望遠を効かせてあるので急カーブに見えるが、R4000だ。
右端の位置は既に南福島駅に達している。 |
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道はトンネルを乗り越えて下り線側の非常口に達している。
それにしても東北本線の下り線は高い。おそらく地形的には何の足がかりもない所にこれだけの盛土を築いたのだから恐れ入る。明治時代の話だ。
こうして見ていると、明治の一大建造物と、昭和の技術の粋たる新幹線とが競り合っているように感じられる。
写真には写っていないが、築堤へ上っていくための保守用階段が左側にある。
おそらくそれを登って撮ったと思われる新幹線の写真は過去にいろいろな雑誌で紹介されているが、現在は階段の段が2m分くらい外されてしまい(いたずら対策だろう)使うことはできない。 |
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下り線側から坑口を覗く。
防護柵が鬱陶しいが新幹線なのでご容赦願いたい。
福島トンネルであることを示す表示板が申し訳程度に取り付いている。
緩衝工は意外と縦に長い。
き電線を引き込むためかと思われる。 |
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さて、トンネル脇の道路から分岐した別の道路を進むと土捨場へ行くことができる。
素っ気ない砂利道で、途中に管理釣り堀がある(写真左)。
この日は誰もいなかったが、場合によっては駐車車両で道がふさがってしまう。 |
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ほどなく東北上り線の下に達する。
この橋も金谷川の鉄橋に次ぐ撮影名所となっているが、右手のトンネルまで登っていくのは容易ではない。
画面奥に土捨場が見えてきた・・・が、何やら警告が。 |
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あうち。
土捨場はなぜか私有地になっていた。
東京音楽学院・・・?がなにゆえこの場所に土地を所有しているのか全く分からないが、HPなどを覗く限り福島とは縁もゆかりもなさそうだ。
下の「毒へび注意」の看板がシュールすぎる。
土砂の量は見るからに莫大なもののようだ。ざっと20mくらいはある。それが沢一つ埋めた格好で存在している。
これだけ広大な平地が荒れ地なのは勿体ない気がするが、かといって何か建てても儲からなさそうな地の利である。そういう意味で音楽学院が何をしたかったのか、とても気になる。 |
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福島方の坑口付近は以上のような感じであった。
これから先は正直自分でも未知の領域である。
この文章を書いている今となってはあらゆる情報を得ているが、最初の現地調査では全く勝手が分からず、何度も見逃して再調査を繰り返したりしていることを記しておきたいと思う。 |