Treasure Reports
第一編 東北新幹線(東京−盛岡)
第十二章 那須トンネル

第三節 現地へ行く(2)

松沼工区
松沼の集落に向かう道路は、いずれも「?」マークが付くほど狭い。よく工事用車両が通せたものだと感心するほどである。
工事誌を読み返すと、それでも新幹線トンネルの工事に合わせて3.6mから5mに拡幅され、通行帯やカーブミラーの設置などが行われたようだ(p.639)

そんな道路を進んで現場があったとおぼしき場所に着くと、ごらんのような状態だ。








松沼工区の坑外設備は借地により整備されたため、工事終了後原状復帰して返還されている。
少々の期待もむなしく、特にがあったと分かるものは何も見つけられなかった。

この平地全体が、林のほう(南)に向かって緩やかに傾斜しているが、工事中は恐らく水平であったはずだ。本来の地面の上に盛土をしたと考えられる。







畑、というよりは何か樹木の苗を栽培しているようなのだが、畦道のような所があったので少し分け入ってみた。

航空写真などから、およそこの目の前の荒れ地が立坑ではなかったかと思われるのだが、あくまで想像である。












一方、道路の方には多少の痕跡が残されていた。
ご覧のように、工事現場の端を境に道幅が狭くなっている。先述の拡幅工事はここまでだったようだ。


そして筆者は奇妙な物を発見する。











お分かりだろうか。

正方形の「飛び石」が等間隔で一列に並んでいる。大体1mおきに11個並んでおり、その前後に関連づける物は何もない。
右のラインは恐らく地中埋設物を掘り返した跡だと思うのだが、この「飛び石」は一体何なのだろうか。











工事誌p.641図6-5-5-18などと照合すると、どうやらこの「び石」のちょうど真下に、新幹線のトンネルがあるようだ。

しかし、これがトンネルと関係があるのか、無関係なのか、関係あるとすれば何の意味を持つのか、それを知る術はない。


ちなみに、弊サイトを隅から隅までご覧頂いている方は、この写真に見覚えがあるはずだ。

そう、World of Techno Treasureのページを飾った場所なのだ。記念すべき1枚目の現地写真である。


道路の北側は、一段高いところに事務所群が並んでいた。今は畑になっている。


















松沼工区の残土は、前原・針生工区と共通で大半が黒田原中学校裏の指定土捨場に運ばれた。
一部は松沼集落内に捨てられ、航空写真にも写っている。
現在はご覧の通り普通の田圃である。













実は、松沼工区立坑そのものより遙かに巨大な構造物が現存している。

事前調査であえて意地悪くフォーカスしなかったのだが、お気づきだろうか。
左下が工事現場である。
立坑の口の角度を基準に一直線にラインを右上に延ばしてみてほしい。

なにやら、ありますな?

















その場所へと行ってみる。
まるで迷路のような構造物が視界に飛び込んできた。


















この構造物は、那須トンネルの湧水を地表の水田に供給するための施設だったのである。
(工事誌p.652-653)
複雑な形状は、常に冷涼な坑内水を日光で温めるための構造で、「温水槽」という。

ローム層で構成された地盤は、トンネル掘削が進むにつれて水田から水が抜けてしまう現象が多発した。このため1974(昭和49)年度休耕補償し、水田や池の「床締め」を行ったという。
(針生工区の謎の溜池周辺も床締めを行ったのではないか?)



気になる水の出所だが、こんな小さな物置小屋のような建物であった。この下に揚水立坑とポンプが設置されているはずだが、外観上それを示す表記類は一切無い。















矢ノ目工区
国道4号に戻り、トーカン別荘の中を豊原駅方向に向かうと、不意にこの門扉が現れる。

この門扉、東北新幹線の中では一番やる気がない門扉ではなかろうか。
その理由は次の写真だ。













ねー。っていう

ご丁寧に、門が塞いでいるのは道路部分だけなのである。
こちら側からは入られ放題になってしまうのだが、果たしてこれでいいのだろうか?














道路はそのまま谷を下っていく。
突き当たりに見えるのが矢ノ目斜坑だ。

















とりあえず上から超望遠で斜坑のディテールを収める。

あの門扉が防護するのがあくまで道路だけなら、もっと近寄っても言い訳はできそうだが、あまりに無防備だとかえって躊躇してしまうもんなのである。
少しでもグレーなら進まない。それがテクノトレジャークオリティー(これが言いたかっただけです)

土管を突き刺したような外観が異様だ。
なお、最も列車本数の多いトンネルの斜坑となるだけに、ほぼ常に鳴りっぱなしである。
「ズバン!ヒュォオオオォオ!ババン!」
ラッパ状の地形が音を増幅する。
斜坑に延びる電線の引き込みを分岐する柱には、「東京北鉄 那須トンネル殿」と書かれた銘板が取り付けられている。
施設だから管理者名とするのが普通だと思うのだが、まるでトンネルが個人的な意志を持っているようで面白い。













那須トンネル盛岡方坑口を見に行くには、そのまま豊原駅まで行って旧東北本線線路を走るのが近い。

元が鉄道路盤なだけあってしっかりした道である。

ほどなく有名撮影地の黒川橋が見えてくる。











途中、急勾配で白坂駅方向に進む旧線敷と別れ、西に進むと新幹線との交差である。

保線用の斜路が設けられている。















この場所から先ほどの黒川橋を眺めるとこんな感じ。



















最後に那須トンネルの銘板を確認して現地取材を終わることにしよう。
ここは銘板は手前に出ているが、扁額のほうはひどい扱いを受けているようだ。















次回は那須トンネルのまとめです。若干の補足があります。


第四節 違和感の理由 へ続く

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