Treasure Reports
番外編
第十四章 北越急行ほくほく線

第五節 鍋立山トンネル<下>
駅間:頸城大島−松代(現:ほくほく大島−まつだい) 位置:38k690m−29k573m5 全長:9116.5m

航空写真
鍋立山トンネル付近の航空写真は、昭和50年51年に撮影されたものである。よって、全ての工区は着手済であり、工事中の様子を窺うことができる。

まず、大島方の西坑口周辺から見ていこう。
少し影になって分かりにくいが、後にほくほく大島駅となる場所に工事現場が展開されているのが分かる。スペースが足りないのか、その北方にも工事関係とおぼしき建物が散見される。

川を挟んだ西側は深沢トンネルとなるが、この時点では影も形もない。
<元の写真はこちら>
続いて中工区の工事現場だ。
時期的には斜坑と信号場を掘削している段階だろう。そろそろこの付近の地質に疑問符が付き始める頃だ。

この場所、アプローチの道路があまりに屈曲が激しく、冬期間の通行には難渋したものと想像する。国道253号もこのあたりは南側を迂回しているが、儀明集落の形はこの曲がりくねった方の道路に沿っていて、この道が古くからの街道であったものと思われる。
可能な限り拡幅してあるのは写真からでも分かるが、こんな道をいずれ導坑掘削用とはいえTBMが運ばれていくことになったのだから恐れ入る。
<元の写真はこちら>
そして松代方の東坑口だ。

この付近は現在と地形も道路も建物の位置等もかなり変化しており、地形図とつきあわせてみても今ひとつ理解できなかった。
現在の国道253号線の位置を描いてみたが、不確かな物である点はご容赦いただきたい。

こちら側の坑口の位置はおそらく変化していない。但し明かり巻区間が現在より長く見えることから、国道はこの部分に盛土して通したのではないかと考えられる。
<元の写真はこちら>
有益な手がかり

この章を書くにあたり、工事誌以外で何か裏打ちできる資料がないかを探っていたところ、北越北線関連のキーワードで検索すると必ず1つ2つ引っかかるpdfがあるのに気づいた。それが下記のサイトだ。

広報誌で見る市の歩み−旧松代町広報誌(十日町市Webより)>

これほど役に立った資料は工事誌を除いては稀である。筆者、我を忘れて1968(昭和43)年から1997(平成9)年までの約30年分を一気に読んでしまった。以下に北越北線関連の記述がある巻号を列挙すると−

着工
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1972_12.pdf
巻頭工事写真
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1974_08.pdf
西松建設がスポーツ大会で優勝
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1978_09.pdf
予定
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1979_08_gogai.pdf
町制30年年表
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1984_11.pdf
工事再開
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1985_02.pdf
アンケート
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1985_04.pdf
犬伏トンネル
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1985_06.pdf
鉄建公団スタッフ紹介
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1985_07.pdf
工事再開
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1985_09.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1985_12.pdf
走れ!われらの北越北線(連載記事)
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1986_01.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1986_02.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1986_03.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1986_04.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1986_05.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1986_06.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1986_07.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1986_10.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1986_11.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1986_12.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1987_01.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1987_02.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1987_03.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1987_04.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1987_05.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1987_06.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1987_07.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1987_08.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1987_09.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1987_10.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1987_11.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1987_12.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1988_02.pdf
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1988_03.pdf
予算配分・掘削マシン投入へ
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1988_05.pdf
高速化決定・難所に挑む最新鋭マシン
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1989_03.pdf
秋山町長退任(5期20年)
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1989_06.pdf
新町長の弁・北越北線への期待
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1989_07.pdf
松代駅完成予想模型
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1990_01.pdf
進む電化・高速化工事
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1990_05.pdf
秋山前町長死去・北越北線進捗状況
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1991_08.pdf
「スーパー特急」の御輿(マグレブに似ているが…)
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1992_09.pdf
鍋立山トンネル先進導坑貫通
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1992_11.pdf
松代駅前整備
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1993_05.pdf
ほくほく線ウォーク
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1994_08.pdf
ふるさと会館(道の駅)完成
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1994_11.pdf
鍋立山トンネル残り53m
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1994_12.pdf
普通列車のカラーリング公募
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1995_01.pdf
鍋立山トンネル掘削完了(8036日)
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1995_04.pdf
レール搬入開始・車両カラー決定
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1995_07.pdf
カウントダウン!ほくほく線
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1996_03.pdf
レール締結式
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1996_05.pdf
HK100搬入・北越急行社員募集
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1996_07.pdf
開通へあと一息
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1996_08.pdf
走行試験開始のお知らせ
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1996_09.pdf
初めて「列車」
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1996_10.pdf
開業記念もみの木贈呈
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1996_12.pdf
マイレールの町へ
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1997_01.pdf
ほくほく線運賃申請
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1997_02.pdf
半世紀に及ぶ夢の実現
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1997_03.pdf
祝・開業、万歳一万回
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/site/kyusityousonkohoshi/page_matsudai/pdf/md_1997_04.pdf

申し訳ないが面倒なので直リンは張らない。上のトップページからでも容易にアクセスできる。
読んでいくと、いかに北越北線がこの地域に望まれた物だったかが手に取るように分かる。着工時に町長だった秋山氏が、5期20年も務めながら路線の完成を見ずに退任し、その後亡くなられたことに無念を感じる。しかし、誰も予想だにしなかった高規格化という新しい潮流に乗ることができたのだから、運命とは分からぬものである。
他の似たような地域と同様、人口減少と高齢化が進み、鉄道ができる前に道路が整備されてしまっているのだが、それでも鉄道を望む熱意を保ち続けたことが奏功したのではないだろうか。いかに道路が良くなったとはいえ、豪雪地帯松代町にとっては交通への不安が常につきまとったのも大きな理由である。

このような情報を公開している市町村は、筆者が知る限り、まだまだ少ないと感じる。電子化された近年の資料なら手に入っても、大昔の広報誌が充実しているのは珍しい。例え需要がなさそうなことでも、いつ何時必要とされるかは分からない。その点、この十日町市のページはもはや貴重なアーカイブであり、合併前の旧市町村の資料を相当前に遡って閲覧可能にしているのは喝采ものである。維持管理は大変だと思うが是非継続していただきたい。
旧松代町の分だけでこんなに分量があるので、他の市町村の分からも有用な記事が探せるはずである。

現地調査

取材はこれまでに2回行った。
1回目は、上越新幹線の補完取材の比重が高かったため、鍋立山トンネルに絞り込んで調査している。5月下旬のことだ。
2回目は逆にほくほく線を重点的に調査した。昨年の上越新幹線中山トンネルの取材時よりは過ごしやすいお盆だったが、少々不本意な結果に終わってしまった。
2回とも十日町に泊まっているが、喧噪とは無縁の静かな所だと思った。地元の料理店でおいしい地酒と肴にありついた後、酔い醒ましに十日町駅のほくほく線ホームで夜風に涼むのがとても心地よいものだった。何も用事が無くてもふらっと行ってしまいそうだ。

ほくほく大島・西坑口付近
ほくほく大島駅は、1面1線で有効長の短いホームが「まばたき区間」の橋梁上にある、小規模な物だ。
しかし駅舎は意外に立派で、待合室のほか多目的室をいくつか備えている。美佐島でも思ったが無人駅としては破格の待遇といえるだろう。

駅の裏手、トンネルのすぐ脇には島変電所がある。











西側は、県道と保倉川を一跨ぎして深沢トンネルへと吸い込まれている。



















駅階部分だけオーバーハングした独特な形状の駅舎内は広々としている。
駅名標は例によって鶴太郎画伯の書である。

ちなみにほくほく線では、JR接続駅となる両端と十日町駅を除き、入場料の設定がない。券売機で買おうとしたら入場券ボタンの存在自体がなかったので面食らった。無人駅だし、結局は乗車精算となるので大目に見ているのだろう。
とりあえず列車が来ないことだけ確かめて色々と眺め回してみる。






ホームから鍋立山トンネルの方を見る。
停目の数字から察するに、ホームは全長が2両、屋根の長さが1両分しかないらしい。将来的にホームを延伸できるようにトンネルの断面は大きくしてあるが、当分その必要はなさそうだ。

長穴の開いた軽量スラブ軌道はここが初めての採用ではないだろうか?
今では九州新幹線東北新幹線盛岡以北つくばエクスプレスなどにも使われている。
在来線高規格化のモデルケースとして、様々な新機軸が取り入れられたのだろう。




気の遠くなるような歳月を要したトンネルであることをおよそその外観からは窺い知ることができない、味気のない坑口。
立派な扁額でも嵌めてあげれば良かったのにと思うのだが、あるのは他のトンネルと同じ小さな銘板だけである。

延長9k129m50とあり、工事誌より13mほど延びている。後の写真と併せて考えると、この大島方坑口のほうを延長しているようだ。

下に1993-12のプレートがあるが、トンネル自体の竣工は翌年だし、そもそも工事件名一覧表に平成5年度の竣工工事が存在しないので何を指しているのかは謎だ。

非常電話の標識ほか。
中央の黒いケーブルはトンネルアーチを半周して架線に繋がっていたので、大島変電所からの配線であると思われる。

困ったのは右にある距離標だ。
38k600mを指しているのだが、これは実キロなのだろうか。
ほくほく大島駅のキロ程は38k660mだからこの距離標とは矛盾しないが、鍋立山トンネルの坑口は38k690mのはずなのだ。
工事誌の情報と駅のキロ程は合致しているので、そうするとトンネルの位置が全体的にずれていることになる。
うーん…?



さらに混乱させるのが、トンネルを少し入った巻立てのちょっと違う部分に刻印されている「60」の数字だ。
何の60なのかこれだけでは分からないが、38k600mの意味である線が濃厚だ(※)。
手前の色が違う部分が、おそらくは後付けされた延伸部分なのだろう。1993-12のプレートはこの延伸部分のみの竣工年と考えることも可能だ。
然るに、この時点で筆者には異なる三種類のキロ程が示されてしまった。
本当はどれなのかいな。

※読者様から、この刻印はキロ程ではなくトンネル覆工の巻厚ではないかというご指摘がありました。
道路トンネルにも同様の刻印を持つ物があるようです。(12/21追記)
複線断面の区間は330mもある。
大島駅の設置は当初から決まっていたものの、合計すると400m近いスペースは必要だと考えていたのだろうか。少し広過ぎではなかろうか。


※工事誌p.268の図を見ていて、複線断面と単線断面の接続部がおかしことに気づき、この写真と下の写真の明度を限界まで上げてみたところ、どうも安全側線のためと思しき空間が用意されています。
もしかすると頸城大島駅交換可能な駅または信号場として計画されていた可能性があります。(12/21追記)

※この調査結果についてはブログで追補しています。

ホームの先端から可能な限りズームで粘ってみる。
ようやく単線部分が写った感じだ。
遠くには閉塞信号機の進行現示が見える。その先の停止現示は儀明信号場内信号機だろうか。勾配はあるもののサミットまでは一直線なので、かなり遠くまで見える可能性はある。

この撮影を行ったのは16時くらいなので、ちょうど西日が坑口から差し込んで遠くまで届いたのが幸いした。
そのため、意外に思うかも知れないが2枚ともフラッシュは使用していない。





儀明斜坑・儀明信号場付近
航空写真からだとあっさり場所の分かった儀明斜坑だが、実際に行ってみると予想以上に地形の起伏が激しく、どの道を行っていいものやら見当が付けにくかった。
一旦儀明にある信号機の所まで国道を迂回し、そこから集落内を通って下りていくのが無難なようだ。それでも現地に着くまでは半信半疑で、ガードレールも満足にないようなカーブと勾配を攻略しなければならない。

ふと視界が開けると、眼下にそれっぽい空き地が。そして「これを見たらアレだと思え」な門扉も発見。






ぐるっと回り込んで田圃道を進む。
今来た道路の下に坑口らしきものを捉えた。


















儀明斜坑口を確認する。
霧ヶ岳トンネルの横坑とも違う独特の坑口だ。
何か足りない気がする。

門扉には相変わらず何も書かれておらず、所有者が分かる物はない。
草が伸び放題だし、門扉の南京錠もいつ開けたのか分からないような感じなので、ここも滅多に使わないのかも知れない。

この場所に、最難関のトンネル工事に挑んだ人々が集い、そして最先端の技術が注力されていった。今その様子を想像するのは難しい。

雪の重みにでも耐えかねたのか、門扉は中央に向かってたるんでいる。

今ひとつ素性が知れないのが、広場の脇にあるコンクリート製の構造物だ。
後で農作業か何かの物置にでも転用したのだろうが、形状はまるでPCの橋桁のようだ。















斜坑口をズームで撮影。
何か足らないというよりは、ふつうのトンネルの上半分だけにしか見えないのだ。
中央に見える扉のような部分でやっと人ひとり分の高さだと思う。これではTBMなど例えノックダウンしても搬入できないと思うので、元は下半分があったのではないだろうか。
霧ヶ岳トンネルの横坑と違って構えだけは立派だが、やはり扁額はない。

で、右側にあるエノキダケのような物はこれまでに同種の物を見た記憶がない。一体何のためにあるものなのだろう。

色々と検分しているうちに列車が来た。風が吹きすさぶのは当然として、信号場なので列車が停車する音が聞こえてくるのだ。これはかなり面白い。
斜坑口の前に広がった田圃。
中工区の土捨場だったはずだがその痕跡は見つけられなかった。



















まつだい駅・東坑口付近
松代方の坑口は、かなり土被りが薄い。道路や民家がすぐ上にある。

当時坑外設備を展開していた辺りに、保線関係の建物が建てられたようだ。















例によってズーム。
東側は馬蹄形断面のはずだが、どうも通常より幅が広い感じがする。
こちら側にも扁額はなく、ただ縁取りがついている程度だ。
















まつだい駅で何本か列車を眺める。

1時間に2本程度とそこそこに本数がある上、ほぼパターンダイヤとなっているため毎時似たような光景を目にすることができる。

北越急行ならではのG-G(高速進行)信号自重しないはくたかがカッ飛ばすさまは見ていて痛快だ。
他のローカル民鉄や三セク鉄道と違って暗さとか憂鬱感みたいなものを感じることが全然無い。数少ない黒字路線であるし、やがて訪れる将来のために目一杯稼ぎまくってるからですよと言われれば、それまでなのだが。



特急列車が轟然と通過していく一方、普通列車の方は割とのんびりだ。
写真の列車は普通列車と特急列車の2本分を待ち合わせして10分以上停車している。
時刻表を見ると、2本の列車の続行間隔が狭いため、この列車を次の儀明信号場まで進めることができないようだ。十日町においても薬師峠信号との関係がそんな風になる時間帯があり、現在のダイヤと信号場間隔はマッチングが取れていないのだろう。








ここにも発見。
ほくほく大島の挿絵はカブトムシだったがまつだいの挿絵は何だろう。

正式な駅舎部分はここから線路側だけで、手前側は道の駅まつだいということになる。














ほくほく線発祥の地記念碑。
ここを訪れたら、この碑ぐらいは拝まなければ。

幾多の困難を乗り越え、地域の悲願を達成した北越急行ほくほく線。しかしその行く先に待っているのは、北陸新幹線の延伸という高く険しい山越えである。開業まで途切れることの無かったその熱意を今後も保ち続けることができるかどうか。それがこの路線を末代に受け継ぐための試練である。









実はここからが本編

まだ終わりじゃないのだ。

本サイトを日頃ご覧になっていれば、そろそろ筆者の勿体ぶりに感づかれてきた方もいることだろう。
何が?と思われたあなた。もう一度本節に掲げた次の3枚の図をよく眺めてみてほしい。

わざと伏せておいた事がある。


お分かりだろうか。
図示しておきながら、説明を全く入れていない構造物があることに。

まさにそれこそが鍋立山トンネルの特異性を如実に物語る、恐らく鉄道トンネルとしては唯一の構造物なのである。

山のあな、あな…

その構造物の正体は、ずばり「換気立坑」。
都市部のトンネルならどこにでもあり、特段珍しい物ではないと思うかも知れないが、このトンネルでは事情が違う。
そう、掘削中にさんざん悩まされ続けてきた可燃性ガス(メタン)を排出するという、とても重要な役割を担っているのだ。

担っている」−現在進行形であるところが重要なポイントである。
通常、山岳トンネルの立坑は工事中には使用するが、完工すると埋めてしまう例が多いのだ。蒸気機関車の時代は煙抜きにすることもあったが、電化や改築で塞がれてしまうとアウトである。

工事誌p.261-268には、工事中のガス管理の状況と、トンネル内の各地点におけるガス濃度のシミュレーションなどが記載されている。
そして、両坑口斜坑、それに換気立坑による自然換気方式とすることが決定づけられている。
現役で電化されている割と新しいトンネルに「ガス抜きの穴」があるとは、実に興味深い。問題は、換気立坑からの排気能力が坑口からと比べて著しく小さいという結果である。立坑のその後の処遇は書かれていないので、「効果が小さいし、保守が面倒だから埋めちゃったよ」という可能性が大いにあったのだ。

願わくば、現役であってほしい。そしてそれはどのような形でお目に掛かることができるのか。
一連の調査の最大の力点が、この一点に集中した。

どうやって行けと
立坑は、西工区に1カ所、東工区と中工区の境目に1カ所の計2カ所だ。

まず、西工区の立坑は本坑36k086m、深さ125mという結構な規模だ。
左の図をお見せするのは三度目だが、もうお分かりの通り、赤いを打ってあるのがその場所だ。

…しかしだ。
この場所の地形図をご覧頂きたい。

道がねえ!
本当にこんな場所にあるのか???

目を付けたのは、その南西辺りに尾根越えの後沢に向かって急に下る道が思わせぶりに途切れていることである。だが経験的に、1本実線以下の道路に我が愛車は入線不能なのは分かっている。どうする筆者。
一方、東工区の立坑は31k320m
ちょうど、トンネルの拝み勾配のサミットであり、いかにもガス抜きの効率の良さそうな位置である。
深さは39mだ。

とんでもない場所にありそうな西工区とは違い、そこそこ幅のありそうな道路沿いにあると思われた。
<地形図の場所はこちら>

しかも、航空写真でその場所を探ってみると、西工区の立坑位置は深山幽谷の様相で何が何だかさっぱり分からないのに対し、東工区の写真にはとても興味深い特徴を発見したのだ。




赤線が鍋立山トンネルの推定本坑。

で、立坑の付近でこの道路はぷっつりと切れている
現在は、地形図に示されたとおり、青線で補足した位置に道路が造られ、松代地内に抜けることができる。
なぜこの道路がここで途切れているのか。ここに何かを造るべくして伸ばされた道路だからではないのか。

こちらは期待値が大きい。










で、西工区換気立坑についてはあっさり結論を述べてしまおう。

探索失敗であった。

この地点まで入ったところで、道路の状態が急激に悪化したのだ。何だか久しく車の往来がないような荒れ方で、砂利もろくに敷かれていないガタガタな道の醸し出す気味の悪さが筆者のチキンなハートにフィットしてしまったので、リトルシンキングした後バックオーライ(ルー語?)。そもそも、廃道廃線探索から距離を置いてオンロードでアクセスの容易な現役構造物に目を向けたのは、筆者が人一倍臆病だからに他ならない。その上、この夏場の時期は、蜂や虻や蚊が元気だし、場所柄ヘビや熊にも気をつけなければならない。特にスズメバチやアブは、すわヨソ者が来たぞという感じで車に果敢に体当たりしてくるし、一歩も外に出られない。

ちょっとこの場所に挑戦してみる方いません?命の保証とターゲットが見つかる保証、どっちもないんですが…。
→地元の方から頂いた情報によりますと、軽装では絶対に無理だそうです!
それはまるで潜望鏡のように

気を取り直してもう一つの換気立坑へ。

儀明斜坑からの道を蒲生集落方面に進み、国道と合流してすぐ左へ分かれる道を入る。
道路の向きが変わる水準点364m付近で東に入る道路を使いショートカット。この道路は幸い舗装されていた。同じ1本実線の道路とは思えない。

再び二本線の道路に出て、山裾を一回り。本坑ライン上を横切ったが景観に変化なし。
あれぇ?

実はこの2回の取材、地図読みの得意な友人をナビ役として同行願っており、
筆者「この先か?」
友人「いや、さっきの所じゃないの?」

友人が言ったのは、本坑をクロスしてすぐに分かれて北に向かい、沢に下りていく道路のことだ。
なんか砂利道っぽかったので車を広い場所に止め、徒歩へ。

下り始めてすぐ、視界が開けたその瞬間。













あアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?


インパクトでかすぎませんか。これ。
標準サイズ以外のフォントを滅多に使わない筆者が自重できずにやってしまいました。反省はしていない。

山の中で叫んでしまったのは中山トンネル四方木立坑の発見以来。間違いなく今年の取材で断トツの衝撃を味わった。腰抜かすかと思った。
断トツの煙突。いやいや。立坑というと、ルーバーが付いた建物状の物(上野地下駅のような)ばかり見ているせいか、こういう形状だったとは全く想像していなかった。この位置から見ると、煙突の頭の部分が背景に溶けてしまったような錯覚に陥り、より一層異様な雰囲気だ。何だか潜望鏡で睨まれているような気にもなるし(こっち見んな)、チキンな筆者は逃げ出したくなったのだが、平静を装って一歩一歩近づく。

この写真、編集のためにここ数日眺めまくっているのだが、いつも冷や汗が止まらなくなるのは筆者だけだろうか。
何度見てもコラージュのようにしか見えない。完全に存在が浮いている。

画像を選択状態にするともっと恐ろしくなるのが分かった(※あくまで編集ソフト上での話。やってみたい人は画像ソフトでネガポジ反転してみてください。ちょっとしたホラーです)。


あまりに驚いたので「!」と書いたが、形状的には「」がふさわしい。



恐る恐る直下まで来てみると、ようやく頭の部分の形状が分かった。

これだけ見たら本当に普通の煙突である。薪割り風呂が当たり前の頃は一般家庭でよく見られたようなタイプだ。
但しスケールが全然違い、直径は90cm、高さはざっと6mはありそうだ。

部材の厚みはごく薄く、スパイラル鋼管を適当に現物合わせで繋げて造ったような感じだ。
どうも、この表面の感じはどこかで見覚えがある

あ、そうか。
第十三章蔵王トンネル湯後川橋脇に埋まっていた鉄管だ。
あれの化け物がこれだ。
苔むしてはいるが立派な台座が付いている。またこの周辺だけはきちんと擁壁が組まれ、道路も舗装され、雰囲気が異なる。

台座には割と立派なプレートが埋め込まれている。1978-8東工区が完工した年だ。












立坑を中心にして、道路上の左右均等な位置に基準点が埋め込まれていた。
西工区の立坑は資料によると本線左にオフセットしているようだが、この立坑は本坑の中央にあるのだろうか。

この場所からわずか4m西側が東工区と中工区の境界である。中工区のお迎えが来るまで休息するはずだったろうが、予想外の事態で迎え堀りを行ったので活躍の機会が延長された。

ちなみに工事中は立坑の直下にターボファンを置き、強制的に排気する方式がとられた。


直立不動のままこの静かな山奥に鎮座する光景は、薄気味悪くも何か神々しさを感じる、複雑な心境をもたらす。

世が世なら、この塔の役目も相当変わっていたに違いない。
予定通り竣工して細々とした非電化ローカル線になっていたら、気動車の煙を吐き出す文字通りの煙突になっていたかもしれない。松代町民の心が折れて幻の鉄道と化していたら、恐らく未成のトンネルと共に朽ち果てていただろう。
それらに比べれば、何と栄誉ある重責を担っていることか。


突然、ボボボボボボボ…という、まるで笛の付いてないヤカンが沸騰を始めたときのような音が鳴り出した。
列車がトンネルに入ったのだ。
能力が小さいという算定だったが、筆者が見た限り結構な風量だ。周囲の木々は風に吹かれまくったせいかこの塔には枝を伸ばそうとしない。
不意に風が止み、また鳴り出したかと思うと列車の走行音と共にパンタグラフの摺板の音がはっきり聞こえた。
これも今までにない新鮮な体験だ。
列車の長さからするとHK100の普通列車か快速だろう。はくたかの場合何が起こるのか知りたかったが、時間切れである。

それにしても、吹きさらしの状態で風雪によく耐え抜いたものだ。

儀明斜坑にあったエノキダケのような物は、これのミニ版とも思えるのだが、斜坑口そのものが換気の役目を果たすのに何故?という気がしないでもない。

<2010/05/06追加>

巨大な土筆


 西工区の換気立坑を探索できないまま悶々としていたところ、何とありがたくも地元の方からその写真を頂けたので、謹んでここに御紹介申し上げる。
 上の、工区境のものも十分な衝撃を味わえるが、西工区のものはφ1.6m直径ベースで8割も大きい
 当然、高さも相当あるのだろうなとは予想していたが、送られてきた写真はあらゆる意味で想像を凌駕する物だった。




強烈な印象を体感いただくために、ほぼ送られてきたままのサイズで掲載します。










では、行ってみますか?











心の準備はよろしいですか?












せーの!





























・・・はい。ということです。完全に化け物ですなこりゃ。


 直径から逆算すると、おおざっぱに考えて下のコンクリートの土台は高さ3m煙突部10m位ということになりそうだ。
 色合いがまた奇妙で、元々は航空障害灯よろしく白と赤のハタザオになっていたのだろうか。これがまるでツクシの袴の部分にそっくりに見えたのがタイトルの由来である。
 頭の部分は工区境の煙突部より割合的には短く、直径が太いので異物あるいは雪の侵入を防ぐ目的か、両サイドにフィルタのような物が取り付けられているようだ。

 建植位置は筆者の予想通りであったが、写真をご提供下さった方によると本当に道が無く、沢下りや藪漕ぎを強いられナタが必需だそうなので、山に慣れていない方は近づかないほうが無難、ということであった。

 筆者は臆病だったので、あの時無理に行かなくて正解だったようだ。
 山奥の僻地ばかり練り歩いているように見えて、実は全く山登りが苦手である。


 それにしても、これほど巨大な塔が必要なほど、このトンネルは普通ではなかったのである。


おまけ
最後に、儀明信号場に列車が到着する様子を捉えた映像をアップロードしたので是非ご覧頂きたい。

車内から撮った映像は数あれど、から撮ったのは恐らく初めてではないかと思う。

前半は単線区間進行中の排気が続く。朝早いせいかトンネルの中からが吹き出てくる。
風が止み、しばらくすると分岐器を通過する音が聞こえ、インバータ車特有の減速音ののち、停車する。

ウグイスカッコウがうるさく感じるほど、それ以外の雑音は一切無い(真ん中あたりで軽トラが走っていくのだけ注意)。

この後はくたか通過時の吸排気の勢いといったら凄まじい物があるが、風真っ只中の屋外レポートみたいで騒々しいだけなので上げるのはやめておく。

以上、長丁場の番外編でした。
いかがでしたでしょうか。鍋立山トンネルの苦闘の歴史と現在について、万分の一でも伝えることができたのであれば幸いです。
筆者もお疲れですが、この駄文に付き合わされた読者の皆様におかれましては、なおのこと、お察し申し上げます。



−終−


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