Treasure Reports
番外編
第十四章 北越急行ほくほく線

第四節 赤倉トンネル
駅間:新座−(津池)−西六日町(現:しんざ−(美佐島)−魚沼丘陵) 位置:??k???m−?k???m 全長:10,471.5m



赤倉トンネルは、十日町市新座甲から笠置(かさぎ)山を頂く清水峠の直下を通り、南魚沼市野田(旧南魚沼郡六日町大字野田)に至る、全長およそ10.5kmの山岳トンネルである。
JRを除く民鉄では最長のトンネルであり、単線鉄道トンネルとしては上越線新清水トンネルに次ぐ2位につけている。いずれも峠の名前が同じ「清水(しみず)峠」なのは何か因縁を感じるが、名前の由来はその峠に近い集落(十日町市赤倉)から取ったもので、有名なほうの?赤倉(妙高市・急行<赤倉>の由来)とは関係がない。
全体のうち、十日町方の1/4ほどの地点に地下駅の美佐島駅(12k260m)があり、峠のほぼ直下には赤倉信号場(8k520m)も存在する。鉄道趣味者にとっては興味の尽きないトンネルといえるだろう(要出典?)。

しかし筆者にとっては第二節霧ヶ岳トンネルと同じく二の次扱いをしていたため、出入口のキロ程を記録していない(後で補完予定)。
筆者のほくほく線体験は150km/h運転時代に<はくたか>に乗った片道のみで、美佐島に降りたことがない。有名なモグラ駅の一つとあってネット上でも写真や動画は多く見かけるが、構造が今ひとつ把握できなかったので見に行くことにした。なお、赤倉信号場薬師峠信号場と同様に、斜坑などの保守通路は存在しない。

工事経過と航空写真

赤倉トンネルは、全長が長いことと、土被りが500mほどにも達することから当初より難航が予想されていた。このため全線の中では最も早く、1969(昭和44)年度から地質調査が始まり、1971(昭和46)年7月20日(中工区)9月13日(西工区)9月20日(東工区)の順で掘削を開始した。一部に膨圧性地山の区間があり、メタンガスや油の湧出、湧水に遭遇したものの、発破工法来工法のみで無事掘削が完了した。3工区ともに1974(昭和49)年3月末で工事を終えている(工事誌p.35-38、125)。
航空写真はこれまでと同様に昭和51年度となっているため、既にトンネルは完成している状態と思われる。

西坑口付近
新座駅予定地と西坑口付近の航空写真である。この辺りの路盤はほとんど完成しているようだ。
随分と駅のスペースが小さいように見えるが、当初から二両編成程度の需要しか想定していなかったのだろうか。

元の航空写真はこちら

※後で調べたら、新座駅は北越北線としての設置計画はなく、北越急行の発足後に設置が決まった駅のようだ。
なのでこの写真の時点では当然用地の確保などが済んでいるわけがない。
大変失礼しました。


トンネルとは関係ないのだが、同じ範囲の写真に興味深い物が写っていたので挙げておく。
左は十日町駅の北方、北越北飯山線が分かれる付近の写真である。
現在、左手に伸びていく線路は存在しない。筆者もこの写真を見て初めて気がついたのだが、これは国鉄千手発電所の建設に使われた専用線である。前回の導水トンネルの話が図らずも伏線を張った格好になった。

そして×の場所だが、北越北は当初飯山線と合流する設になっていた。それが高規格で高架のまま独立することになったため、勾配を変えずに路盤を持ち上げる細工をしたのである。その写真が何と鉄道ジャーナル92年1月号(通巻303)p.48上に大きく出ている。
津池付近
現在の美佐島駅となる場所は、元は中工区の工事現場であった。
本坑の位置と、写真に写る角穴のような影は非常に近寄っているため、これは立坑と考えて良いだろう。計画時から既に駅とすることは考慮していたようだ。

元の航空写真はこちら











東坑口付近
東口の方は若干の開削があったのだろうか、坑口から山際まで保護盛土が続いている。しかも坑口の位置は、現在の地形図や現地で見た位置よりだいぶ山側にずれているので、ここも後から延伸したようだ。先ほどのRJ誌の同ページ下にある概略図のトンネル延長は10334mとなっていた。

その当時は西六日町駅と呼ばれていた魚沼丘陵の駅予定地も、申し訳程度に盛土が広いのみだ。

元の航空写真はこちら






現地取材・美佐島駅
取材の行程が押していた(時間に余裕はあったが天気が崩れる一方だった)ため、しんざ駅と西坑口はオミットしてまっすぐ佐島駅へと向かった。

一見公民館風の立派な駅舎だ。
これで無人駅なのだから豪勢なものである。昨年(2007年)、開業十周年を記念して片岡鶴太郎氏揮毫の駅名標が造られた(これは全駅そうなっている)。
ほくほく線の取材中はずっと、何となく時間がゆるやかに過ぎるように思われたが、この字はまさにそれを体現している。
ところで鶴太郎氏はよく地方鉄道の旅番組に多く出ている気がするのだが、そういう趣味をお持ちなのだろうか。
中に入ると、ホームに向かう階段部分が面積の半分を占め、残りは集会所のような待合室となっている。
この駅に関してはネット上にも情報があふれているので今更言うこともないだろう。突き当たりのドアを左に折れるともう一枚のドア、その先がホームである。
先客がいたので下には降りなかった。高低差は17mらしい。開業時は階段側のドアは手動だったが、列車が通ると開けにくくなる上、閉めずに放置して特急通過で窓ガラスが割れるという普通の駅ではあり得ない事態となり、警備員配置による「門番」ののち自動化されている。
噂には聞いていたが本当に奇妙な音で、さしずめ縦笛の不協和音のようでもある。
残念ながら録音はしていない。
駅の裏手にあるのは、電化によって新設された津池変電所である。

ちなみに、この駅の場所なのだが、正確には「十日町市午(うま)」で、元の駅名の津池(ついけ)を名乗る集落はもっと東にある。美佐島(みさしま)の名は、この周辺一帯の集落を指すらしいのだが、地図上に存在しないのが不思議である。しかも、トンネルを抜けた先の六日町地内に、発音も漢字も同じ美佐島という地名があるのでさらにややこしい。従って六日町の人に美佐島の場所を尋ねるのはちょっとしたタブーかもしれない。

北越急行の管理施設は、霧ヶ岳トンネルの横坑のようになかなか自社の所有物であることを示してくれないのだが、さすがにここには書いてあった。

全部ひらがなで「つよいでんき」と書かれると、この路線が何ボルトで走っているのか一瞬分からなくなる(ウソ)。下にずらしたのは子供達によく見えるようにだろうか。

赤文字は例外なく経年で先に消えるので、十年後くらいに埋め問題ドリルと化するのは必至か?

−「つよいでんぱ」がでていますから「やばい」です−
この場合、筆者のことである。
東坑口付近
美佐島から峠を越してこようかと思ったりもしたが、雨の中実線の県道(つまり険道の予感)を行くのは不安すぎるということで、結局十日町に戻ってから八箇を越えることにした。
国道17号より山側を走る県道がこの調査には非常に都合が良く、いずれ紹介することになる上越新幹線塩沢トンネルの諸設備にもアクセスしやすい。加えて、お盆のような渋滞シーズンでもほとんど無関係なのがうれしい。

そして赤倉トンネルの東口。
ご覧のように延伸工が結構飛び出している。しかしそれをそのまま坑口とせず、門構を造ってあるようだ。だが何か様子がおかしい。
そばに寄ってみることにする。

どうも緩衝工を設置した際に、そのままだと元の坑口に形が合わないため、新たなポータルを上に貼り重ねてしまった感じだ。















トンネルの上部を跨ぐ道路より西側は、航空写真で見たのと同じ保護盛土が続く。


















坑口を覗き込む。
住宅街なので防音のこともあるせいか非常に壁が高く、中を見るには少し苦しい。

妙な場所に閉塞信号機が建っている。

扁額は元の坑口にはあったのかもしれないが、それを確認する術はもうないだろう。左のプレートだけが名前を知らしめる。








こちらは六日町変電所である。
美佐島津池変電所からは約8.5kmほど離れている。いつもは新幹線の取材ばかりしているので随分変電所の間隔が狭く感じたが、直流電化なのだから当然なのだった。













折しもはくたかが通過していく。
曲線だが意外に速くて所定の場所でシャッターが切れず、こんな窮屈な構図になってしまった。

取材は2回やっているが、道中で会ったのは全部ホワイトウィング編成だった。












そして後を追うように快速もやってきた。休日なのでゆめぞら号が出動している。
この変な構図も快速が魚沼丘を通過するのを把握し忘れて、良い位置まで戻り損なった結果だ。この路線は一般車といっても俊足だから全く侮れない。












次回はいよいよ、本章最後の節にして最大の難物、鍋立山トンネルについてです。
果たして1回分の分量で収まるのかどうか…。



第五節 鍋立山トンネル<上> へ続く

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第二節 霧ヶ岳トンネル へ
第三節 薬師峠トンネル へ


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