現地取材・美佐島駅
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取材の行程が押していた(時間に余裕はあったが天気が崩れる一方だった)ため、しんざ駅と西坑口はオミットしてまっすぐ美佐島駅へと向かった。
一見公民館風の立派な駅舎だ。
これで無人駅なのだから豪勢なものである。昨年(2007年)、開業十周年を記念して片岡鶴太郎氏揮毫の駅名標が造られた(これは全駅そうなっている)。
ほくほく線の取材中はずっと、何となく時間がゆるやかに過ぎるように思われたが、この字はまさにそれを体現している。
ところで鶴太郎氏はよく地方鉄道の旅番組に多く出ている気がするのだが、そういう趣味をお持ちなのだろうか。
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中に入ると、ホームに向かう階段部分が面積の半分を占め、残りは集会所のような待合室となっている。
この駅に関してはネット上にも情報があふれているので今更言うこともないだろう。突き当たりのドアを左に折れるともう一枚のドア、その先がホームである。
先客がいたので下には降りなかった。高低差は17mらしい。開業時は階段側のドアは手動だったが、列車が通ると開けにくくなる上、閉めずに放置して特急通過で窓ガラスが割れるという普通の駅ではあり得ない事態となり、警備員配置による「門番」ののち自動化されている。
噂には聞いていたが本当に奇妙な音で、さしずめ縦笛の不協和音のようでもある。
残念ながら録音はしていない。 |
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駅の裏手にあるのは、電化によって新設された津池変電所である。
ちなみに、この駅の場所なのだが、正確には「十日町市午(うま)」で、元の駅名の津池(ついけ)を名乗る集落はもっと東にある。美佐島(みさしま)の名は、この周辺一帯の集落を指すらしいのだが、地図上に存在しないのが不思議である。しかも、トンネルを抜けた先の六日町地内に、発音も漢字も同じ美佐島という地名があるのでさらにややこしい。従って六日町の人に美佐島の場所を尋ねるのはちょっとしたタブーかもしれない。
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北越急行の管理施設は、霧ヶ岳トンネルの横坑のようになかなか自社の所有物であることを示してくれないのだが、さすがにここには書いてあった。
全部ひらがなで「つよいでんき」と書かれると、この路線が何ボルトで走っているのか一瞬分からなくなる(ウソ)。下にずらしたのは子供達によく見えるようにだろうか。
赤文字は例外なく経年で先に消えるので、十年後くらいに穴埋め問題ドリルと化するのは必至か?
−「つよいでんぱ」がでていますから「やばい」です−
この場合、筆者のことである。 |
東坑口付近
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美佐島から峠を越してこようかと思ったりもしたが、雨の中実線の県道(つまり険道の予感)を行くのは不安すぎるということで、結局十日町に戻ってから八箇峠を越えることにした。
国道17号より山側を走る県道がこの調査には非常に都合が良く、いずれ紹介することになる上越新幹線塩沢トンネルの諸設備にもアクセスしやすい。加えて、お盆のような渋滞シーズンでもほとんど無関係なのがうれしい。
そして赤倉トンネルの東口。
ご覧のように延伸工が結構飛び出している。しかしそれをそのまま坑口とせず、門構を造ってあるようだ。だが何か様子がおかしい。
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そばに寄ってみることにする。
どうも緩衝工を設置した際に、そのままだと元の坑口に形が合わないため、新たなポータルを上に貼り重ねてしまった感じだ。
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トンネルの上部を跨ぐ道路より西側は、航空写真で見たのと同じ保護盛土が続く。
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坑口を覗き込む。
住宅街なので防音のこともあるせいか非常に壁が高く、中を見るには少し苦しい。
妙な場所に閉塞信号機が建っている。
扁額は元の坑口にはあったのかもしれないが、それを確認する術はもうないだろう。左のプレートだけが名前を知らしめる。
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こちらは六日町変電所である。
美佐島の津池変電所からは約8.5kmほど離れている。いつもは新幹線の取材ばかりしているので随分変電所の間隔が狭く感じたが、直流電化なのだから当然なのだった。
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折しもはくたかが通過していく。
曲線だが意外に速くて所定の場所でシャッターが切れず、こんな窮屈な構図になってしまった。
取材は2回やっているが、道中で会ったのは全部ホワイトウィング編成だった。
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そして後を追うように快速もやってきた。休日なのでゆめぞら号が出動している。
この変な構図も快速が魚沼丘陵を通過するのを把握し忘れて、良い位置まで戻り損なった結果だ。この路線は一般車といっても俊足だから全く侮れない。
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次回はいよいよ、本章最後の節にして最大の難物、鍋立山トンネルについてです。
果たして1回分の分量で収まるのかどうか…。 |