Treasure Reports
第一編 東北新幹線(東京−盛岡)
第十三章 蔵王トンネル

第三節 現地調査(2)

尺を間違えた気がする

前回の現地調査の分量からして、東北新幹線の暫定開業区間で2番目に長いトンネルにしては、ずいぶんと見所が少ないと思われたかも知れない。自分でも「あれ、たくさん写真撮った気がするのに意外と少ねえなぁ」と思っていたのだが、何のことはない、原工区の分量が異常だったのだ。
これまで1ページの縦の長さが大体同じくらいになるように編集してきたのだが、どうやら今回は無理らしい。

原工区周辺
国道4号福島方面から北上し、越河駅を過ぎて少し山がちな所を下ると、やがて左手に牛沼が見えてくる。
沼の手前に西に分岐する道があるのでそこを入る。

沼の脇を走って写真の斉川を渡り、東北本線をオーバークロスするようになる。

もう既にこの段階でネタ満載だが、お分かりだろうか?







まず斉川を渡る橋が架け替えられているようだ。古い橋台が南側に残っている。

航空写真を見るとまだ橋が架かっていたようで、おそらく工事用車両の通行に支障があったため架け替えられたではないかと思われる。












続いて、東北本線を跨ぐ橋である。
道幅は広いとは言えないが、高い柵のある頑丈そうな構造だ。

右(北側)に写るのが旧橋である。















跨線橋を西側から見てみる。

新旧の橋は単なる横並びではなく、旧橋は若干低くなっている。
旧橋の取り付け部分は雑草が茂っており、利用されることがないにもかかわらず残している意味はよく分からない。













旧橋は通行禁止にはなっておらず、路面は荒れているが普通に渡ることが可能だ。

新しい橋は橋脚も鋼鉄で組まれているが、道路橋では珍しい部類ではないだろうか。仮設というか急拵えの雰囲気が漂う。












一方旧橋の方は、橋桁は恐らくPCである。橋脚は電柱を並べて植えただけのような感じで何とも頼りない。

















橋の袂に車や人が結構写っているのは、ここが東北本線の有名撮影地だからである。
2007年春のこの日は、ふくしま花見山号の運転日であった。455系列は2月の小規模な改正で既に定期列車の運用から外されており、遂に牙城であった仙台地区から一斉に消えることが確定していた。

越河の坂を往来すること40年のベテランが去る。








さて、橋を渡るとすぐにこんな急坂が待っている。
筆者は何度もこの場所を訪れているのでもはや驚かないが、初めに来たときはこんな坂の上に工事現場なんてあるのかと疑ったほどである。

強いて言えばこの広い道幅が行く先に何かあるのを物語るといえようか。
需要に見合わなそうな立派な道路を片田舎で発見したら、それはテクノトレジャーのヒントである(道幅は狭いままだが数百メートル間隔で交換所があるという場合も)。


坂を登り切ったところに不意に分岐が現れる。
原斜坑に向かう工事用は分岐する方で、途中このような橋を渡る。















橋を渡ると再び上りに転じる。
地形が地形だけに「よくもまぁ、こんな場所を」といいたくなる。
ちゃんとそれが綿密に計画され、設計・施工されたと分かってはいても、どうしてここを選んだのかという疑問は常に湧いてくる。












これはつい2週間くらい前に行ったときの写真だ。
斜坑前には広いスペースが取れないので、坑外設備の一部や汚水処理施設はこの場所に展開されていた。

後ろの柱は確かNTTドコモのアンテナで、唐突な大きさが少し怖い。これは東北本線の車窓や東北道からも見つけることができる。









道路の逆側。

斜坑口から供給される坑内湧水を浄水し、農業用に配水する施設などがあったというが、上の写真共々その痕跡はない。

ただ、余剰水の一部は先ほどの橋(湯後川)や斉川に捨てるように設備図には書いてあるのだが、斉川に持って行くとなると相当長いパイプラインが必要なはずだ。







ん?

湯後川橋梁の脇に変な物発見。

2種類パイプが延びているが、片方は錆びた口を開けている。
両方とも出所は不明だ。

確定的なことは言えないのだが、工事に関係のある配水管ではないだろうか。










坑外設備跡を通り過ぎると道路は四差路となる。
直進は航空写真に写っていたンクリート製造設備への道、右へ行くのが斜坑への道だ。

なんとまたここから登るのだ。














ようやくゴールが見えてきた。
山腹を少し削り込んで立地しているのが分かる。

門扉前の周辺は雑然としていて、ゴミが大小問わず散乱している。
ただの荒れ地のようだが、写真左手には畑があったとおぼしきビニルハウスの骨組の残骸があったりしてかなり謎だ。

ちなみにこの場所まで車で入ってくることはあまりおすすめしない。両側に側溝があって切り返すのが大変だからで、少し歩くことになるが上の写真の分岐部に止めた方がいい。

そろそろ見飽きたと思うのだが、相変わらず線路のないところで新幹線に轢かれる可能性を指摘する看板は門扉にて健在だ。

右下の注意書きは、防火水槽よろしく「よいこは近づかない」的な物だ。多分筆者のような変人でもなければ頼まれてもこんな場所には来ないだろう。








ずいぶんとどっしりした構えを持つ斜坑口。
トンネル本坑の坑口のように、ある程度すりつけ角度を持っており、こういう意匠は人に見られることを前提とした装飾の意味がある。
扁額を持っていたようだが、最初から無かったのか朽ちて外れてしまったのか、凹みが残るだけになっている。

しかしまぁ、ここに至るまでのアプローチはいささか長すぎ、保守に使うのも非常用に使うのもあまり便利ではなさそうだ。




扁額が無い代わりに、左手に取り付けてある竣工プレートは割と立派な物であるように見える。

上に少しだけ写っているが、坑口を囲むようにして大小4つ取り付けられたフック状の物は、一体何に使われたのだろう。













さて、分岐の直進方向の道路はなぜかご覧の通り猛烈な竹藪に没している。
坑外設備があった場所に植林して景観を回復するのは珍しいことではないが、多くの場合杉などの針葉樹や照葉樹が一般的だ。竹を植えるという話は聞いたことがない。
自然に発生してこうなってしまったのか、地主がそうしたのかは定かではない。いずれにしろ先に進むのは不可能である。






さて、石母田工区にもあったが、この原工区周辺にも大規模な渇水対策設備が存在する。

トンネルの坑内水は直接利用していないようだが、工事中に応急設備として造られた大規模なパイプラインを活用しているという。

具体的にどの場所をどう結んだか、それを追うのは難しいが、以下それらしき物を辿ってみる。

この写真は、工事用道路の分岐部にあったマンホール。「農水」と書かれている。
奥の暗がりが湯後川橋梁、つまり斜坑方面である。

分岐部の脇には配水設備のポンプ用とおぼしき配電盤が設置されている。



















この配電盤は、先ほどまでの道路脇に1km間隔くらいに設置されている。
ところどころマンホールに空気抜きも存在する。
















どうやらこの一連の設備の大本となっているのがこの施設らしい。
またしても、素性の知れる看板の類は何もない。
配水関係の施設はおしなべて多くを語らない。何故だろう。













この施設を通り過ぎてさらに北へ向かうと、どこかで見たような緑色の配管が顔を出しているところがあった。

やはりさっき湯後川のところで見た橋の下の配管も同じ役目なのではないだろうか?

この配水パイプライン、何と総延長が13000mに及ぶ(白石側だけの値)。トンネルより長いとは何たる皮肉…。








ちょっと分量が多すぎるので、原工区の残り(約1/3)と中ノ目工区は次回にします。すみません。
先日掲示板で語った「重大な見落とし」とは何か気になっている方もいらっしゃると思いますが、これも次回のレポートで明らかに
したいと思います。



第三節 現地調査(3) へ続く

TreasureReportsの先頭へ
第一節 関東の北限に穿つ へ
第二節 事前調査 へ
第三節 現地調査(1) へ


トップへ