この章を書き始めるまで全く見落としていた工事誌の一文がある。次の通りである。
p.434-
(1)原工区概況
当工区は、地形、地理的条件により、中ノ目工区との工区境付近に斜坑(斜部370m、水平部83m)を設け、ずり搬出、資材搬入に供することとし、コンクリート搬入には、コンクリート竪坑(深さ約90m)を別途設備した。
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文章の末尾が問題であった。
実は、蔵王トンネルは一連の中で2番目に取材したトンネルだけに、もう全部やり尽くした感が漂っていたのだが、その後大清水トンネルなどの工事誌をよくよく読むにつけ以下のような事実が分かったのである。
・斜坑はインクライン(ケーブルカー)方式で勾配は250‰と急である
・斜坑はズリ出しと資材搬入で手一杯になる
・コンクリートは長距離の運搬に問題がある(固化時間・骨材分離など)
当時はレール工法が主であり、現在のように比較的緩い(それでも125‰が主流のようだが)、長大な斜坑を掘ってタイヤ工法で施工するのとは条件が異なる。タイヤ工法であればセメントミキサー車が直接坑内まで乗り入れられるので問題ないが、レール工法では坑内が手狭なこともありコンクリートを運搬したり現場で練り混ぜるのは難しい。
そこで出てくるのが「コンクリート立坑」なる構造物である。
このサイトでは那須トンネルの章でわずかにその存在について触れたことがあるが、見つけたことはない。
コンクリート立坑は、その名の通りコンクリートを直接本坑に投下するという目的のためだけに構築されるので、完成後の再利用はまず行われない。従って用済みとなれば速攻で埋められてしまうものと考えられる。
本坑取付のキロ程や長さがある程度明確で、探しやすい斜坑等とは異なり、位置や大きさなどが明確に掴めないのが悩みどころである。よし分かったとしても、その様態は簡単な物ではただの鉄パイプだったりするので、少しでも土に埋もれてしまえばあっという間に分からなくなってしまう代物である。
那須トンネルでは、矢ノ目斜坑のコンクリート立坑の探索に失敗している。荒れ地の真っ只中だったためだ。
存在自体は珍しい物では無いことが分かってくるにつれ、「もしかして蔵王トンネルにもあるんじゃね?」という疑問が湧いてきた。
200m少しの矢ノ目斜坑にあるのなら、450mの原斜坑にもあってはおかしくない。そう思って改めて工事誌を読んだ結果がこれだ。
この見落としは情けなさ過ぎるが、物によっては「立坑」の文字が一つも出てこない(前述の鉄管など)場合もある。予算や時間の関係もあって、とても工事誌の隅々を読み全てコピーすることは不可能であり、重要な項目の読み落としを防ぐには腕を磨くしかないようだ。
矢ノ目斜坑の場合、位置平面図は工事誌に載っており、コンクリート立坑が本坑の直上であることは確認済である。
ところが、先ほどの一文を読んでから原工区の線路断面図(p.435)を見て唖然としてしまった。
土被りが90m以下の場所が、ない。
原工区は完璧な山岳地帯で、平均土被り300mはある。90mの立坑などどうあがいても本坑上に設置できるわけがない。
一体何がどうなっているのだろう。
もう一つの可能性は、コンクリート横坑を掘削してそこに落とし込むパターンである。今後書く予定でネタバレになってしまうが、大清水トンネルの松川工区はコンクリート運搬坑を持っていて、斜坑口の前にコンクリート立坑を備えるという珍妙な構造をしていた。蔵王トンネルの場合は斜坑の斜部が370mなので、250‰で深さ92.5mとなり、斜坑口と同じくらいのレベルに立坑があれば工事誌の記述通りということになる。
しかしこの推論にも疑問が残る。同じp.435にあり、本章第二節で述べた水抜坑・迂回坑の施工図には、斜坑を含む穴という穴が描かれているが、コンクリート運搬坑らしきものはないのである。もし斜坑と同レベルの位置に設置するなら、斜坑に匹敵する長さの横坑となるのは明白で、端折りようがないほどに目立つはずである。しかるに本文の方でも、横坑を掘ったとは一言も書かれていない。
さて、どうしたものか…。
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