Treasure Reports
第一編 東北新幹線(東京−盛岡)
第十三章 蔵王トンネル

第三節 現地調査(3)

原工区(続き)
今回は、原工区の残りからの現地レポートである。

主要構造物である斜坑周辺は一通り見終わったことになるのだが、この工区の土捨場は広大すぎるので、現在どうなっているのかを見ておきたいという気持ちがあった。












しかしそれはのっけから頓挫する。
この写真は、馬牛沼付近か南に分岐する土捨場への道路と推定される場所なのだが、随分立派な可動式門(インターホン付)に遮られてしまっている。このあたりに土地を買った人が家か何かを建てて私有地化してしまったようだ。あるいは元から私有地で、借地契約と引き替えに道路の無償譲渡を受けたとも考えられる。

土捨場は他に近づけそうな道路がないため撮影は不可能となったが、東北本線下り列車車窓、越河を出て右手に柵付きの整然とした盛土が見えたらそれと思っていい。
では国道4号沿いにあったもう一つの土捨場はどうなっているのだろうか。

土捨場の場所は、トンネル一時構造物の中で極めて把握が難しい。なにせ時間が経てばあっという間に周囲の山々と一体化してしまい、人工物であることが分からなくなるからである。
土捨場の跡地に道路が造られたり、家が建ったりした場合も探すのが困難になってくる。

写真の場所も、一見国道に素直に取り付いていて探しやすいように見えるのだが、現実はそうではなかった。

まず4号線から右に分岐するのが4号の旧道である。この道、航空写真からは想像できない勢いで谷底に下っていた。
その勢いを引き戻すかのように上に登っていく道路、これがどうやら土捨場に向かうようだ。
予定外に勾配があったり道路の線形が変わることは月日の流れから言えば当然で、ある程度の身構えはしているのだが、それでも少し調子が狂う。

坂道を登ると、この場所には似つかわしくないシュロの木が立ち並ぶ。
シュロといえば南国のイメージだが、意外にも日本での北限は東北地方までらしい。
実は筆者の家にもあるのだが、幹がふさふさした変な木である。
平地に出ると、一言では何と表現していいのか分からない光景があった。
産廃置き場かと思ったが割と片付いている。現役ナンバーの車がいるが人の気配はない。
何なんだろうこの場所は。

トンネル掘削土で造られた土地の上にJRの廃コンテナが並んでいるのは何の因果か。









上からだと航空写真のようなスケール感は全く分からなかった。
下から見上げられる場所は無いかと思い、先ほどの旧道を下りて探ってみることにした。

国道4号線(奥州街道→陸羽街道)の旧道は、「おくのほそ道自然歩道」に指定されている。その道中には至る所で名所旧跡の案内板が立っているが、この場所もそのようだ。

筆者の目的は鬼ずるす石ではなく、土捨場である。



近づけるかと思ったが一面畑で無理だった。
少し分かりにくいが、中央少し上にわずかに見える平地がさっきのコンテナが置いてあった場所である。高低差は100mはあるものと思われる。













中ノ目工区
中ノ目横坑はあっさりと辿り着くことができた。
アプローチの良さは、これまでに取材で巡ってきたあらゆる立坑・横坑・斜坑の中でダントツである。
国道から100m程度しか離れていない。が、少し高い場所にあるので直接見ることはできない。

この坑口も整った外観をしている。但し扁額はない。

さて、国道から近いのはいいのだが、別の問題があった。





何とすぐ脇が民家なのである。
民家が浮いているのか横坑が浮いているのかは判断しかねるが、両者に決定的なミスマッチ感があるのは誰しもが認めるところではないだろうか。

これまで、斜坑などの入口は周辺と隔離され、その上列車風をまともに受けないよう塀を設置してあるのが定石であった。しかしこの家の庭は坑口から風の直撃を間違いなく食らう。
ここの家人はそれを承知で住んでいるのだろうか?
日常生活において一日に何度も衝撃音と列車風に晒されるのは、筆者でさえ御免被る。分かっているのと慣れているのとではワケが違うのだ。
坑口の上に付いていた用途不明の金具。
電線類の碍子でも固定していたのだろうか。

ついでに覆工の違いもよく分かる。赤茶けた方はおそらく工事中からのもので、白っぽいのが仕上げに施工した部分だろう。
軽くアーチの縁が面取りしてあるのも見栄えに影響している。
このように、無機質一辺倒といわれる高度成長期のトンネルも、ささやかな装飾がなされているのが分かる。





ようやく蔵王トンネル白石蔵王方坑口に来た。
こちら側の坑口も、作り付けの緩衝工を備えている。福島トンネルと違ってさらに鋼鉄製のものを延伸したりはしていない。















そして扁額の取り付け方も福島と同じようだ。




















見落とした物

この章を書き始めるまで全く見落としていた工事誌の一文がある。次の通りである。

p.434-
(1)原工区概況
当工区は、地形、地理的条件により、中ノ目工区との工区境付近に斜坑(斜部370m、水平部83m)を設け、ずり搬出、資材搬入に供することとし、コンクリート搬入には、コンクリート竪坑(深さ約90m)を別途設備した。


文章の末尾が問題であった。
実は、蔵王トンネルは一連の中で2番目に取材したトンネルだけに、もう全部やり尽くした感が漂っていたのだが、その後大清水トンネルなどの工事誌をよくよく読むにつけ以下のような事実が分かったのである。

・斜坑はインクライン(ケーブルカー)方式で勾配は250‰と急である
・斜坑はズリ出しと資材搬入で手一杯になる
・コンクリートは長距離の運搬に問題がある(固化時間・骨材分離など)

当時はレール工法が主であり、現在のように比較的緩い(それでも125‰が主流のようだが)、長大な斜坑を掘ってタイヤ工法で施工するのとは条件が異なる。タイヤ工法であればセメントミキサー車が直接坑内まで乗り入れられるので問題ないが、レール工法では坑内が手狭なこともありコンクリートを運搬したり現場で練り混ぜるのは難しい。

そこで出てくるのが「コンクリート立坑」なる構造物である。
このサイトでは那須トンネルの章でわずかにその存在について触れたことがあるが、見つけたことはない。
コンクリート立坑は、その名の通りコンクリートを直接本坑に投下するという目的のためだけに構築されるので、完成後の再利用はまず行われない。従って用済みとなれば速攻で埋められてしまうものと考えられる。
本坑取付のキロ程や長さがある程度明確で、探しやすい斜坑等とは異なり、位置や大きさなどが明確に掴めないのが悩みどころである。よし分かったとしても、その様態は簡単な物ではただの鉄パイプだったりするので、少しでも土に埋もれてしまえばあっという間に分からなくなってしまう代物である。
那須トンネルでは、矢ノ目斜坑コンクリート立坑の探索に失敗している。荒れ地の真っ只中だったためだ。

存在自体は珍しい物では無いことが分かってくるにつれ、「もしかして蔵王トンネルにもあるんじゃね?」という疑問が湧いてきた。
200m少しの矢ノ目斜坑にあるのなら、450m原斜坑にもあってはおかしくない。そう思って改めて工事誌を読んだ結果がこれ
この見落としは情けなさ過ぎるが、物によっては「立坑」の文字が一つも出てこない(前述の鉄管など)場合もある。予算や時間の関係もあって、とても工事誌の隅々を読み全てコピーすることは不可能であり、重要な項目の読み落としを防ぐには腕を磨くしかないようだ。

矢ノ目斜坑の場合、位置平面図は工事誌に載っており、コンクリート立坑が本坑の直上であることは確認済である。
ところが、先ほどの一文を読んでから原工区の線路断面図(p.435)を見て唖然としてしまった。

土被りが90m以下の場所が、ない。

原工区は完璧な山岳地帯で、平均土被り300mはある。90mの立坑などどうあがいても本坑上に設置できるわけがない。
一体何がどうなっているのだろう。
もう一つの可能性は、コンクリート横坑を掘削してそこに落とし込むパターンである。今後書く予定でネタバレになってしまうが、清水トンネル松川工区コンクリート運搬坑を持っていて、斜坑口の前にコンクリート立坑を備えるという珍妙な構造をしていた。蔵王トンネルの場合は斜坑の斜部370mなので、250‰で深さ92.5mとなり、斜坑口と同じくらいのレベルに立坑があれば工事誌の記述通りということになる。
しかしこの推論にも疑問が残る。同じp.435にあり、本章第二節で述べた水抜坑・迂回坑の施工図には、斜坑を含む穴という穴が描かれているが、コンクリート運搬坑らしきものはないのである。もし斜坑と同レベルの位置に設置するなら、斜坑に匹敵する長さの横坑となるのは明白で、端折りようがないほどに目立つはずである。しかるに本文の方でも、横坑を掘ったとは一言も書かれていない。

さて、どうしたものか…。

もしコンクリート運搬坑+コンクリート立坑という組み合わせの場合、一番可能性があるのはこのプラントの付近である。
場所がないからといってこんな山際に設置するのは妙な気がしていた。
山際にそびえ立つのがセメントサイロなのかバッチャープラン(コンクリートを練り上げる設備)なのか分からないが、バッチャープラントなら立坑は直下となる。

この場所は既報の通り、竹藪に没しているため探索は困難だ。
もしこの場所が正解だったとしても諦めざるを得ない。


では、横坑がなかったとした場合に本坑の直上に設置できる場所は本当にないのだろうか。

そう思って航空写真とにらめっこ
していると、本坑付近に取り付いている奇妙な道路があるのを発見した。

ゼンリン住宅地図では拡大できないので、うぉっちずの当該場にリンクしておく。
道路の概形を考えると本坑より少し西側だが、等高線を読んでいくとこの場所なら深さ90mで大丈夫のようでもある。

しかしこの場所、原工区のプラントから離れている上に中ノ目工区の範囲なのだ。
でも見つけちゃったんだからしょうがない。行ってみるべさ。

…あれ。道がない。

谷筋を読んだら絶対にこの場所、と思ったのだが、その谷に分け入っていくはずの道がないのだ。

そんなはずはない。
第一目の前の畑はどこから入って耕すのだ。道がなければここに農地を作れない。

狐につままれた感じで来た道を戻る。


約1時間後。
めでたくその道路上へ。

結論から言うと地形図の間違であった。写真の奥に赤い屋根の建物が見えるが、あの場所からこの地点まで点線の道が延びていることになっている。だが実際はずっと手前の集落中に分岐する道があったのだ。

しかしこの道路、途中からぬかるんだ林の中の細道となってしまい、車で行くと転回できない恐れがあったので歩いて行くことになった。
山際だからか急に雲が発達して真っ暗になり、慌てて車に戻ったりした。ゲリラ雷雨に用心しつつ、一進一退。
こんな場所に何かあるのかよ、と涙目になりかけた時、林が若干切れかかって明かりが差しているのが見えた。

その地面にあったのがこの構造物である。
どう眺めてもただの四角いコンクリートの固まりで、大きさはせいぜい2m四方程度だろうか。

航空写真に写る物と似ていることは分かったが、何の表示もない。ただ、この物体に繋がった黒いビニル管からは水がこんこんと湧き出していた。

トンネルの渇水対策で掘られた井戸の一つなのだろうか。有刺鉄線で囲ってあるのが普通ではない雰囲気を出している。
ここには小屋のような物もある。
が、黙して語らず。

もっと写真を撮っておくべきだったが、時期が時期であり蜂虻藪蚊に熱烈大歓迎されたので、よく眺め回すこともできずに退散したのである。
やはり探索は春先か晩秋がよく、時間は限られる。

結局の所、見つけた物が何だったのか、コンクリート立坑はどこにあったのか、真実は掴めなかった。後味の悪いレポートである。




蔵王トンネル諸元表
名称 蔵王(ざおう)トンネル
全長 11215m
工区数 4
総工期 1971.12〜1979.4 7年5月
状態 供用:1982.6.23〜
摘要 斜1横2
名称 蔵王トンネル 終点
位置 工:281k025m 実:282k685m
工区 中ノ目(なかのめ)工区 2875m
工法 底導先進上半、サイロット
工期 1973.7〜1977.4
状態 供用:1982.6.23〜
名称 中ノ目(なかのめ)横坑
位置 工:280k587m 実:171k186m
取付 横坑220m 交差?° 本線右
工区 中ノ目(なかのめ)工区 2875m
工法 底導先進上半、サイロット
工期 1973.7〜1977.4
状態 供用:1982.6.23〜(非常口、保守)
名称 原(はら)斜坑
位置 工:278k030m
取付 斜坑453m 交差?° 本線右
工区 原(はら)工区 3190m
工法 サイロット(二段)、底導先進上半 他
工期 1971.12〜1979.4
状態 供用:1982.6.23〜(非常口、保守)
名称 石母田(いしもだ)横坑
位置 工:271k016m
取付 横坑67m 交差?° 本線右
工区 石母田(いしもだ)工区 4000m
工法 底導先進上半
工期 1971.12〜1976.4
状態 供用:1982.6.23〜(非常口、保守)
名称 蔵王トンネル 始点
位置 工:269k810m 実:271k470m
工区 藤田(ふじた)工区 1150m
工法 上半先進タイヤ
工期 1972.9〜1977.7
状態 供用:1982.6.23〜


−終−

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