もっととんでもない所にあった!
|
次は寛永寺橋立坑に移る。
この立坑付近の線形は直線だが、今度は25‰という急勾配上である。下谷立坑から発進したシールドの到着と、寛永寺橋工区のシールド発進を兼ねるものである。
その場所は、にわかには信じがたいものであった。
p.323−
2.寛永寺橋たて坑
寛永寺橋たて坑は、道路橋直下に位置し、しかも両側にはランプが傾斜して存在している。また、前後に橋台と橋脚が接近し、ランプの橋脚の一部はたて坑施工に伴い受工事を実施した。
−
何と立坑の場所は道路橋の真下だというのである。ふつう、縦穴の上は青天井という先入観があっただけに、この記述はセンセーショナルであった。これでは、いくら当時の航空写真を眺めても見つからないのは当然である。 |
|
その場所に行ってみると何やら怪しい構造物が見えてきた。
仮受けしたと書かれているのは恐らく中央の橋脚である。
p.326の平面図を見るとまさにここのはずだが、橋脚の奥にあるのは何だ…?
と期待して近づいたら、地元の防災倉庫だった。ガッカリ。
ただ、場所的に立坑の真上であることは確かなはずなので、上に蓋をして作られたのではないかと邪推する。第一トンネルの御徒町立坑のように。
|
|
防災倉庫の脇を覗いてびっくりした。
ちょっとグロテスクな生物のようにも見えるこの巨大な管は何なのか、と思ったら下水道の空気抜きらしい。
工事誌の図面を見るとこの下水道幹線の地中位置も書いてあることが分かった。
いずれにしろ立坑とは無関係で、ビックリのちガッカリの荒れ模様は続く。
|
|
防災倉庫の裏側にある駐車場を写す。
寛永寺橋立坑は奥の入口に見える停車禁止パターンから、手前の緑色の橋脚の直前までのサイズであったようだ。
下谷立坑同様に舗装されてしまっては当時を知るよすがもない。
|
|
前回お伝えしたこの空き地には、どうやら寛永寺橋工区の事務所や資材置場があった模様だ。
立坑はこの位置からすぐ右手の所にある。
|
信ジラレナーイ!!
|
|
寛永寺橋立坑は、やはり寛永寺橋の手前にあった。
とすると、恐らくこれを見ている人の多くが「じゃあこの寛永寺非常口って何なの?」という疑問を持つに違いない。私もそうである。
まあ、ここまでの話の流れから十分お察しのことと思うが、そう、つまり、あれだ。
こやつは「寛永寺橋パイロット立坑」だったのだ。
|
引用の途中でわざと切ったのだが、パイロットトンネルの説明の続きは次の通りである。
p.402−
13.パイロットトンネル
(承前)下谷工区は、本トンネル断面内にパイロットトンネルを施工したが、寛永寺橋工区は、パイロットを断面外に設けて、地山安定処理工法に使用し、開業後は、防災設備として使用できるように計画した。
したがって、寛永寺橋パイロットトンネルは、本トンネル上部より掘進し、順次、側部に下って本トンネル側面で、坑道に連絡する必要からスパイラル状の線形となる。このため、平面および縦断の曲線が複合する急曲線トンネルの施工となった。
−
また文章的には非常に難解な構造である。一体どういう形なのだろうか。
そう、これこそ私がこの章においてもっとも描きたくない解説図が必要な場所だったのである。 |
|
まずその平面図である。
トンネル本坑の在来線に対する土被りはわずか10mほどであり、その予定ラインに対して巻き付くような形でパイロットが存在する。
パイロット自体の直径は4.3m(本坑は12.6m)で、土被りは5mしかない。
在来線への影響を出さないように、細心の注意が払われた。
立坑は、一段高い丘の上から18mあまり掘り下げられた。
|
|
前回の写真に重ねるとこんな感じになる。分かりにくい上に正確でないがどうかご容赦願いたい。
パイロットトンネルは、最小半径が50m、本坑に取り付いてからR.L.までの立ち下がりに付けた勾配は何と341‰である。
シールドとしては極めて稀な急曲線・急勾配の掘削を、よりによって土被りの非常に薄い線路下で行うという、まさに究極の曲芸と言えるのではないだろうか。
341‰というと、ケーブルカー方式の斜坑の勾配(1/4=250‰)よりもきつい。恐らく通路は階段だと思われる。
|
|
ちなみに寛永寺非常口は、2007年になってお色直しされたようである。
最初にお見せした写真にあった緑色の柵や台形の柵は無くなり、真新しい銀色の柵が二重に防護している。覆っていたツタの類も除去されたようだ。
その代わり、5月上旬時点の話だが、この施設が何なのかを示す表示が一切なくなってしまった。
|
|
恒例のレンズ差し込み撮影。
中央にあるのが消火用の連結送水管である。この送水管はパイロットトンネルから本坑に入り、下谷立坑まで伸びている。
なお、この寛永寺非常口の本坑取付は新幹線の車内から確認できる。
下り列車が上野駅を出て左カーブが終わったなと思う辺りの進行方向左側に、非常用電話の緑ランプが2連続で見られる所がそうである。
|
佳境は日暮里立坑である。
寛永寺橋シールドの到着立坑と、日暮里トンネルの起点になる。
実際に行ってみて確かに狭い場所だと思ったが、工事誌には次の通り苦労話があった。
p.332−
(2)施工
(i)工事用桟橋仮設
桟橋取付部の在来道路は、1車線で大型クレーン車の進入はできず、しかも小型クレーンと材料運搬トラック2台並べると、道路は完全に遮断してしまう事になる。また、材料取卸し組立等は、クレーンの吊上げ能力の限界一杯になってしまい、かつ歩行者の通行さえも止めてしまうような状態となり、作業は遅々として進まなかった。
急な斜路を下り方向でしかも右へ180度カーブさせなければならず、途中山手京浜線に直角に接近する箇所もあり、また、クレーンのブームぎりぎりまで倒さなければならず、この工事用桟橋の仮設工事が本工事全体の中でもっとも手のかかった難工事であった。
−
工事用桟橋とは、あの公園に降りていくスロープのことである。確かにUターンの格好で周囲は人家、突き当たりは線路という狭隘な場所であり、そこをクレーンを倒した状態で通るのは至難の業というほかない。 |
|
おそらくこの道幅では大型クレーンの通行は不可能なので、現役時代はもっと幅が広かったに違いない。
|
|
そしてここをターンしたわけですな。
|
|
実は、芋坂人道橋のこの2本の橋脚だけが他と違う。
これはこの下に立坑を設置したためで、支障する元の脚を撤去して仮受けした後、立坑の用済み後に新たな橋脚を建造したのである。
|
|
日暮里立坑より日暮里方は、パイプルーフ工法の箱形トンネルであった。
パイプルーフとは、名前の通りトンネルの上部にあらかじめ鋼管を打ち込んで地盤を補強し、その下を掘り進む工法である。
ご覧のように在来線とは非常に鋭い角度で交差しているため、長尺スパン(77m)のパイプを打ち込むことになった。
写真の場所は、桟橋がUターンする反対側にあり、おそらく勝手に杭などを打たれては困るため上の土地もJRが管理しているものと思われる。
|
|
前回とは逆の方向から上野第二トンネル出口付近を見る。
福島トンネルの取材によって、トンネルというものを知った気になっていたのを見事に打ち砕いてくれた。また、地形図のトンネル位置が全く信用ならないこと、工事誌でさえも間違っている事など様々な教訓を得た。
これから先、またどんな場所で、どんなトンネルの上で先入観や常識を覆されるか、非常に楽しみである。
|