日暮里駅−鶯谷駅付近
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前出の写真画報によると、工事開始は1978(昭和53)年なので、それ以降の写真には何か写っているはずである。
左は1979年度の写真である。
左上が日暮里駅、右下が鶯谷駅となる。
横幅の都合上元の航空写真の50%にしているのでディテールがつぶれているがご了承願いたい。
日暮里駅付近は何やら雑然としているので工事は既に始まっているようなのだが、それ以外に目立つ物は発見できない。
地図が正しければ、トンネルは一旦在来線の南西側に抜け、京成線と道路がオーバークロスするあたりでもう一度在来線を横切り、後はずっと道路の直下を進んでいるはずである。
(第二章で触れたが、地中に潜っていく線路の位置は必ずしも信用できない)
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1984(昭和59)年度版の写真で気になる部分をピックアップしてみた。
トンネルは日暮里駅の中間あたりから地下へ潜っているようである。
そして山手・京浜東北をアンダーパスしたあたりに何かがあるように見える。
日暮里立坑ってこれか?
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同年度撮影の在来線横断部分。
うーん…
特に変わった様子は見られない。
京成線脇に立坑があるといっても、そのような構造物を見つけることはできない。
もしその情報が正しいとすると、わざわざ在来線より高い位置から掘り進めたことになる。
そんなことってあり得るのだろうか。
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鶯谷駅−上野駅付近
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今度はトンネルの南半分である。
左は1979年度の写真だが、少し怪しい部分があるにはあるものの、説得力に欠ける。
時期的に工事が始まったばかりの写真ということもあるのだろうが、田舎の大規模な坑外設備や土捨場のようなものを期待していては駄目なのかも知れない。
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こちらは1984年版である。
どうも道路との交差部分に何らかの痕跡があるように見える。
なぜここだけ舗装が新しいのだろうか。
上野駅の東側の側線3本が異様に白っぽいが、写真画報によると上野地下駅の側壁を施工するためにこの場所を使ったようである。
坑内地下水の送水工事資料から察すると、道路のアスファルトが新しいところの近辺に下谷立坑が存在するはずなのだが、影になっているのかよく分からない。
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