Treasure Reports
第一編 東北新幹線(東京−盛岡)
第三章 上野第二トンネル

第二節 本末転倒

第一節の補足
大宮−上野間の経緯について若干補足しておきたい。
大宮以南の、いわゆる「埼玉県南地区」は、1971年の基本計画ではトンネルになる予定であった。
しかし「超」の付く軟弱地盤であることが判明し、トンネル掘削による地盤沈下が早くから懸念され、元々建設に後ろ向きだった沿線地域では猛烈な反対運動が起こった。
そこで計画を変更する代わりに、新幹線に通勤新線を併設した高架案を提示することになった。ところが、沿線住民の態度はさらに硬化してしまう。
結局、騒音や振動に配慮する(恐らく速度の低下も条件のひとつであろう)という前提でようやく理解をとりつけ、1980(昭和55)年1に地下方式から高架方式への変更認可が下りた。(鉄道ジャーナル1984年11月 通巻213号 p70-72より要約)

上野第二トンネル直径12.7mの複線シールドトンネルで、全長は約1.2km1983年7月に貫通した、とある。

なぜか札幌に
このトンネルを調べることになったきっかけは意外なものである。
福島トンネルに関する資料を探すうち、たまたまネット検索で見つかった古本屋の在庫に「東北新幹線建設工事写真画報」なるものを発見した。値段は6000円となかなかのものであったが、思い切って買うことにしたのである(後で定価が16000円だということが分かり二度びっくり)。

その古本屋、何と札幌の店だったのだ。

意外なところにあるものだと感心しながら、数日後に本は送られてきた。
箔押しで布張りの結構な装丁であるが、ヤケやシミがあってさすがに年期を感じさせる。発行日は1982(昭和57)年4月。自分はまだ生まれていない。
版元の「日本合同通信社」は現存しないらしく、本当はこの中の写真をいくつかお見せしたいのだが許可の取りようがない。どなたかこの版元についてご存じの方はおりませんか。

さて、この本は各工事区間の写真が担当のゼネコンごとに載っており、上野第二トンネルに関しては82年開業に間に合わないためか全体の後ろの方に載っていた。そこから分かったのは以下の点である。

3k564m付近(上野地下駅前広場)のどこかに立坑が存在する。(p277)
シールドが2種類存在し、直径12.84mの下谷トンネルと、12.82mの寛永寺トンネルにどこかで分かれている(p278,282)
・日暮里側から何mかは日暮里トンネルというらしい(p281)
5k300m付近に、寛永寺トンネル用の発進立坑が存在する(p282)

ネット上で調べてみると、次のようなことが検索に引っかかった。
下谷立坑日暮里立坑からトンネル内地下水を不忍池に送水している(ソースは第二章の上野立坑と同じ→こちら)
・京成線がJRをオーバークロスする付近に立坑がある(寛永寺立坑なのだろうか?)

と、長さの割には中身の濃そうなトンネルであることが判明したのである。

それでは、例によって現地の航空写真を見ていこう。

日暮里駅−鶯谷駅付近
前出の写真画報によると、工事開始は1978(昭和53)年なので、それ以降の写真には何か写っているはずである。

左は1979年度の写真である。
左上が日暮里駅、右下が鶯谷となる。
横幅の都合上元の航空写真の50%にしているのでディテールがつぶれているがご了承願いたい。

日暮里駅付近は何やら雑然としているので工事は既に始まっているようなのだが、それ以外に目立つ物は発見できない。
地図が正しければ、トンネルは一旦在来線の南西側に抜け、京成線と道路がオーバークロスするあたりでもう一度在来線を横切り、後はずっと道路の直下を進んでいるはずである。
(第二章で触れたが、地中に潜っていく線路の位置は必ずしも信用できない)















1984(昭和59)年度版の写真で気になる部分をピックアップしてみた。

トンネルは日暮里駅の中間あたりから地下へ潜っているようである。
そして山手・京浜東北をアンダーパスしたあたりに何かがあるように見える。
日暮里立坑ってこれか?













同年度撮影の在来線横断部分。

うーん…
特に変わった様子は見られない。
京成線脇に立坑があるといっても、そのような構造物を見つけることはできない。
もしその情報が正しいとすると、わざわざ在来線より高い位置から掘り進めたことになる。
そんなことってあり得るのだろうか。








鶯谷駅−上野駅付近
今度はトンネルの南半分である。
左は1979年度の写真だが、少し怪しい部分があるにはあるものの、説得力に欠ける。
時期的に工事が始まったばかりの写真ということもあるのだろうが、田舎の大規模な坑外設備や土捨場のようなものを期待していては駄目なのかも知れない。










































こちらは1984年版である。

どうも道路との交差部分に何らかの痕跡があるように見える。
なぜここだけ舗装が新しいのだろうか。

上野駅の東側の側線3本が異様に白っぽいが、写真画報によると上野地下駅の側壁を施工するためにこの場所を使ったようである。

坑内地下水の送水工事資料から察すると、道路のアスファルトが新しいところの近辺に下谷立が存在するはずなのだが、影になっているのかよく分からない。













順序が逆だ
結局、これまでに分かった範囲の資料を携えて現地へ行ってみるしかないという結論になった。
ついでに国会図書館へも出向いて工事誌の確認をしたいところだが、第二章で触れたようにこの区間の工事誌は国会図書館に収蔵されていないようなのだ。
時間を有効に活用するために午前中を現地探索の時間とし、午後は図書館に入り浸る方向で予定を組むことにした(以後、東京に行く場合はずっとこのパターンとなる)。
確実な資料を見つけてから現地に行った方が格段に失敗は少ないのだが、そこが田舎者の悲しさ、順序を逆にしなければ効率よく回れないのである。
そして図書館に行ってから別の方法があることに気づき、結果的に真実へ遠回りすることになった。
小題の「本末転倒」とはそういうことであった。


第三節 探せども探せども へ続く


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