Treasure Reports
第一編 東北新幹線(東京−盛岡)

第三章 上野第二トンネル
駅間:上野−大宮 位置:東京起点4k346m−5k841m 全長:1,495m


第一節 紆余曲折の産物


東北新幹線 上野第二トンネルは、上野地下駅から在来線の日暮里駅付近までを結ぶ1.5km弱のトンネルである。
このトンネルを含む上野−大宮間は1985(昭和60)年3月14日に開業し、3年弱続いた「リレー輸送」は解消された。ひとまず、北の玄関口を出発点とすることで「東北新幹線」の名目が立つこととなった。

第二章でも触れた通り、過密な都市部のルート選定は困難を極め、このうち上野駅付近については地下線とすることが決定した。
実は当初、大宮以南はほとんどが地下区間となる計画であった。現在埼京線とともに併走する大宮−赤羽間については、「埼玉トンネル」という全長約10kmの長大トンネルでぶち抜く構想だったのだが、地質調査の結果超軟弱地盤のうえ、折からの地盤沈下問題で予定線上の住民から猛反発を喫するなど、建設は相当困難と判断され、あえなく立ち消えとなってしまったものである。

結局、高架で通そうとしたものの、今度は東海道沿線で既に巻き起こっていた騒音・環境がらみの問題(名古屋新幹線騒音公害訴訟)で沿線住民の態度は一層硬化しており、用地取得は困難を極めた。
地元が新幹線建設を受け入れる見返りに、いくつかの厳しい内容が突きつけられた。それが埼京線(通勤新線)であり、大宮以南の110km/h運転であった。この措置は現在に至るまで禍根を残すことになる。

そのような事情もあり、大宮以南はおよそ高速走行が難しい、新幹線規格からは相当遠のいた線形をもって通さざるを得なくなった。
赤羽−上野間は新規の用地取得を何とか最小限に抑えるため、既設の在来線に割って入る形で日暮里付近から地下線とし、上野地下駅に接続することになった。もっとも、当初計画は不忍池の直下を直接東京へ向かうルートであり、「北の玄関口」を自認する上野駅周辺の「社会的地盤沈下」を恐れた住民により「駅を設置しないなら用地取得を許可しない」という事態となり、結局上野駅は設置されることとなった。

ルートは何とか決まったが、大断面のトンネルを掘るため、ルートはなるべく地上に影響を及ぼさないよう墓地や道路の直下を通るように選定された。だがそれでも一部の建物の基礎が支障し、また在来線の直下を2カ所で横断しなければならないのが最大の問題であった。しかもその線形は、反向曲線(Sカーブ)に加えて25‰の上り勾配という劣悪なものであった。

それでもこのトンネル、77年に着工してから予定工期5年できちんと完成
している。少なくとも、開業がずれ込んだ主因ではない。


難しいトンネルを、どうやって着実に掘り抜いたのか。
そこには、驚愕の施工方法が存在した!






第二節 本末転倒 へ続く


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