Treasure Reports
第一編 東北新幹線(東京−盛岡)
第三章 上野第二トンネル

第三節 探せども探せども

静かな朝
前節の最後に書いたように、朝東京に着いたら上野トンネルの取材をして、その後国会図書館に行く事に決めた。
上野駅の入谷口から外に出ると、普段の人混みが全く想像できないほどの静かな光景が目に入る。まだ9時くらいだというのに、街路樹の下でうたた寝をしている人が少なくないのに驚く(上野公園でも午前中から結構いた)。普段の疲れを土曜の静かな朝に求めているのだろうか。
取材の都合上、鶯谷のあたりの細い路地まで探検してみたのだが、ワケありの年の差カップルがいかにもの態でこそこそ歩いていたりして、ちょっと直視できない。しかもこちらは肩からコンデジを提げている。ゴシップか俺は

上野駅−寛永寺橋
この上野第二トンネルの区間は上野方から追っていくことにする。

この辺りに来ると必ず目に入ってしまうのがこの構造物である。
排気塔、とでも言えばよいのだろうか。

最初はこれが立坑だと思ったのだが、取材を進めるうちに本当にそうなのだろうかと疑問が湧いてくることになる。

写真下のきつく曲がった道路は両大師橋へのアプローチである。ここを登ってみることにした。





上の写真の少し右、交差点のすぐ脇にある構造物である。

これも、他の同種の建物をいろいろ調べてみると換気塔の一種であるらしい。
だが、特に新幹線の関係物であるかどうかは窺い知ることができない。













1枚目の写真の構造物に掲げられた注意書き。

ケーブルダクト
そういえばこの塔の隣にある白い建物は電力関係の設備であり、在来線のエアセクションも並んでいる。
新幹線への給電か、または上野地下駅全体の電力を送っているものと想像できる。












アプローチの坂を登る途中、先ほどの白い建物と事務所らしきもう一棟の間にまた似たような構造物を発見した。
全部換気塔なのか、あるいは他の役目があるのか。何の表示もなく鎮座する様子に、こちらも沈黙せざるを得ない。














坂を登り切って両大師橋の南、つまり上野駅本屋側を見ると、屋根が付いているとはいえ明らかに排気筒の態をなす構造物が見つかった。

















今度は橋の北側である。
上野地下駅の地中壁は、写真画報によるとこの電留線の下に作られたようだ。


















東側に並んだ問題の建物群である。

一番大きな排気筒も含めて5カ所くらいはありそうだ。このうちどれがトンネル工事用にシールドを送り込んだ立坑なのだろうか。














橋を戻って北上する。
すると、またしてもこのような構造物に出くわす。

隣に上野駅リサイクルセンタとあり、隣接していることから、ゴミか何かの関係だろうか。

結局、この周辺は立坑らしき建物のオンパレードであった。
が、全く素性は知れない。











次に向かったのは寛永寺橋工の現場である。

この緑色の橋が寛永寺橋なので、立坑はこの界隈にあるはずである。

ところが何度往復してみても皆目見当が付かない。第一、トンネルの場所はこの道路橋の直下。どうやって本坑の位置にシールドをセットしたのだろうか。









寛永寺橋がJRをまたぐ直前にある不思議な場所を見つけた。
駐車場にはなっているが中途半端な空間で、舗装もやっつけたような処理である。

奥に見える橋の下部も妙な構造をしていて、完全にふさがっている。その部分はいわゆる高架下倉庫らしいのだが、トンネル工事には無関係なのだろうか。
いずれにしてもここしか怪しい場所がないが、確証もない。








寛永寺橋−日暮里駅付近
寛永寺立坑の手がかりをつかめないまま、寛永寺橋を渡って次の目的地に向かう。

「日本で一番線路がたくさん並んだ区間」を一跨ぎする。列車がひっきりなしに行き交い、ずっと眺めていても飽きない場所である。しかし今日の目的は別の所なのでそそくさと立ち去る。

その目的の場所は、既にこの写真に写っているのだが…。

ちなみに新幹線のトンネルは、恐らく写真と同じ方向で、この線路群の下を進んでいるはずである。
これだけの線路の下を掘ったのか…?




寛永寺橋を渡り終えて谷中墓地の方向に進むと、ほどなく京成の上に出る。

そしてネット上で見つけた「京成線の脇にある立坑」は、写真の奥だ。

近づいてみよう。












んおっ!?

これまでとはかなり違う異例のお出迎えである。
何が異例かというと、その様相。
これまで新幹線の施設は新幹線特有の柵で覆ってある物ばかり見てきたが、ここはその手前にもう一つ、何の但し書きもない緑色の柵があるのだ。これは一体…。










では失敬して、柵の隙間からその本体をば。

それにしてもこの形状がユニークだ。
奥に見える立坑本体と思われる構造物は、ツル性の植物に覆われて全く外観が分からない。かろうじて扉らしき物が左右二カ所あることが確認できるのみである。











入口にある看板のアップ。

線路がないのに「新幹線線路に〜」の但し書きはもはや決まり文句か。「門扉番号 非常口」というのは日本語的にどうかと思うが…。

何はともあれ新幹線の設備であることははっきりした。これは今回の取材で初めてのことだ。

ただ、これは寛永寺立坑なのか…?
寛永寺橋工区の始点は、少なくともJRのクロスより上野方であることが分かっている。
この場所からシールドを発進したのでは、二方向に進まねばならなくなる
単に非常口として作るのならこの場所である必然性は感じられず、謎だらけである。

最後の目的地は日暮里立坑である。
谷中墓地を突っ切って日暮里に向かうには芋坂人道橋を渡るのだが、この人道橋の下がどうもそれらしい。
















坂道は行き止まり、とご丁寧に説明してくれる看板があるが、私の目的地はその行き止まりだ。

それにしても実に狭くて急できつい坂と勾配である。こんな所で工事をしたのか?














坂を下りると、その終点は公園である。

一見、線路に近いだけで何の変哲もない公園に思えるのだが。
















地面に顔を出す謎のコンクリート。
上の壁は在来線の線路に沿ったものだが、この列の方向は違う。
写真画報などで見る立坑の様子などから考えて、これは新幹線の線路方向と同じであると考えられる。
立坑の一部か、その工事のために作られた建物の基礎ではないだろうか。
立坑自体は残念ながら埋められてしまったものと推察する。










振り返って、今降りてきた坂道の側を見る。

地面から生えた複数の鉄道用地境界さえなければ、本当にただの公園だ。
















ところで、この公園には写真のような殉職碑が存在する。
ところが、ご覧のように柵で覆われていて近寄れないばかりか、何の殉職碑なのかが分かるようなものが一切ない。もちろんこれ自体にも碑文は書かれていない。
在来線のもの?新幹線のもの?柵で囲ってあって献花台すらないこの状態に頭の中を疑問符が占拠する。

とりあえず手は合わせてきたが、腑に落ちない。







日暮里駅の常磐線ホームから、上野第一トンネル大宮方坑を写す。
ロケーションが悪いのでこんな写真しか撮れないのだが仕方ない。

上野から日暮里までは道のりで2キロ程度。暇つぶしにはもってこいではないだろうか。













そして国会図書館へ
前にも書いたとおり、上野−大宮間の工事誌はなぜか国会図書館に収蔵されていない。
しかし、どうやら東京第一工事局発行の雑誌特集という形で、工事誌が存在することが判明した。
他の資料も探しながら本を待ち、いそいそと読み始まった。そこで私はまたしても想像を超える内容に出会ってしまったのである。
下谷・寛永寺橋の立坑は実際にはどこにあったのか。寛永寺非常口の本来の目的とは。そして日暮里立坑の窮屈な立地は。
次回は全てを明らかにします。(でも作図しないと分かりにくいんだよなぁ…作図やりたくないんだよなぁ…でも転載できないし…ハァ)


第四節 地中の曲芸 へ続く


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