上野駅−東京方坑口
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写真の枚数が少ないが、ご了承
いただきたい。
左は上野駅の広小路口を出た
所である。
上野立坑があるとされる場所は
もっと東寄りで、ペデストリアンデ
ッキのあるあたりだと気づいた
のは帰り際になってからである。
既に日没後だったので写真を取
り損ねてしまったが、立坑を思わ
せる構造物は発見できなかっ
た。
そもそも道路の真ん中にある立
坑はどのように始末されるの
か?という点が不明である。
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場所はずっと飛んで、春日通りのガード下である。
ここが陥没事故を起こした現場で、中央の信号柱の直下あたりがまさに大穴の空いた場所なのだが、当然というべきか完全に元通りになっており、当時の状況を残すものは存在しない。
ここから右奥に見えるガード下の路地を秋葉原方向に歩いていくことにする。
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いろいろなお店が軒を連ねていて飽きの来ない散歩道だが、結局、御徒町駅南口付近にあるはずの御徒町立坑も発見できず、そのままトボトボ歩くことに。
そして台東区上野5-10を過ぎたあたりで、妙に立派な、しかし黒塗りのフェンスに出くわした。
この付近のガード下に共通の意匠で、はじめはスルーするつもりでいたのだが、左のカンヌキの掛かった重厚な扉が気になりだし、近寄ってみると…。
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!!!!!!!!!!!?
なんだこの穴はっ!?
場所からいうと何の立坑も存在しないはずだが、ここはアンダーピニングを行った区間である。
上野第一トンネルは間違いなくこの穴の位置にあり、直接通じてはいないとしても無関係の構造物ではあるまい。
もっとよく覗き込めるかとがんばっては見たが、何せ人通りの多い場所。そんな中いつまでもフェンス越しに顔とカメラを押しつけていては不審者扱いされかねないので、そそくさとこの場を後にした。
しかし一体、何なんだ…。
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少し進んで上野5−8に来た。
施工図によれば、この在来線の橋は第一御徒町架道橋というそうだ。
上の写真の現場はちょうど電柱の被っているあたりになる。
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そろそろアンダーピニングの終端である蔵前橋通りに出る。
秋葉原貨物駅に伸びていた線路はここを境にジエンドしており、その名残の高架が張り出している。
…ん、でも高架よりさらに出っ張った物があるような…。
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これは…。
こちらから見ると正直「らしくない」外観になっているが、通り側から見るとその正体が明らかとなる。
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「上野第一トンネル非常口」である。
この囲いのどこからどのようにトンネル本体へアクセスできるのかは確認できないが、とりあえず秋葉原側の避難経路の一つが明らかとなった。
この回で「第一上野」ではなく「上野第一」と書き続けてきた理由は、まさにこの表記があったためである。JR内部でどちらが使われているのか定かではないが、公に表示してあるトンネル名なのでこれを尊重することにする。
「緊急自動車出入口」ということは、消防車くらいは中に入れるということか。
…本坑に?それはないか。
それにしてもセンスのない落書きだ。
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蔵前橋通りを挟んで反対側から全体を見る。
途切れた高架が貨物線跡、左のガードが電留線のものである。新幹線のトンネルは、この電留線ガードの直下にあるはずである。それから察するとこの非常口はだいぶずれている。
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蔵前橋通りから東京方を望む。
E231が止まっているのが電留線になり、新幹線はその下だ。
手前に張ってあるフェンスは、推測だがつくばエクスプレスの工事に使用したものではないだろうか。
そう、この辺りには鉄道トンネルがたくさん埋まっているのだ。
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上の写真でビルの陰になる道路が電留線をアンダークロスする場所である。
昔の資料には「貨物通路架道橋」とあり、おそらく秋葉原貨物駅と神田市場を直結する道路であったものと思われる。
道幅が狭いので橋脚を減らす工事をしているようだ。
さてここから東京方を見ると、このようにトンネルが地中からせり上がってくるのが見える。
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そのせり上がっていくトンネルの、東側。
緩衝帯のような空間が延々続いていて、ここもトンネルと一緒にせり上がってゆく。
突き当たりには何か扉のようなものが見えているが、それ自体にも、手前のフェンスにも新幹線の何かであることを表示する物はない。
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明神坂橋架道橋で、約1.3km続いた上野第一トンネルがようやく終わる。
区間は短く収穫も多くなかったが、都市のトンネルには別のミステリーがありそうだ。
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次回は上野第一トンネル最終回です。
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