Treasure Reports
第一編 東北新幹線(東京−盛岡)
第二章 上野第一トンネル

第三節 本がダメなら

本当に資料はないのか
工事誌が見つからなくても、何か手がかりはあるはずだ。
そう思っていろいろ試行していると、意外な抜け穴があることが分かった。
それは、NDL-OPAC「書誌検索」ではなく、「雑誌記事索引検索」のほうである。

私が知らなかっただけだと思うので恥ずかしい限りだが、「雑誌」というのは書店に並ぶような大衆向けの、週刊・月刊誌のようなものを指すものとばかり考えていた。しかし、世の中には「専門分野の雑誌」というのが存在するのだ。たとえば、建築なら建築、電気なら電気、そして土木なら土木の専門誌である。ここでいう専門誌とは、書店で売られていないようなきわめて限られた人向けのもので、多くの人は刊行されている事実すら知らないのではないか、というものである。

かくして、それは見つかった。「東工」という雑誌である。何と国鉄東京第一工事局が発刊しているのだ。もはや土木誌というより内部資料に近いのではないか。
ちなみに国鉄は無くなってしまったため、廃刊となっている。引き継いだJRに同様の雑誌があるかどうかは判明しなかった。

御徒町トンネルの概要
国会図書館で一度に借りることのできる雑誌は3冊までなので、論題名から内容の濃そうなものを慎重に選択し、それを借りることになる。その結果、「東工37-1号」が詳しそうだということが判明したので、これを借りることにした。
1冊出てくるまで30分は掛かる。長い。

それでは、その中身に触れていこう。
p.57
第一上野トンネルは、上野地下駅南端の上野たて坑から御徒町付近の御徒町たて坑までのびる、延長約500mのシールドドンネルであり、(以下略)

この論文では、前に紹介した鉄道誌の「御徒町トンネル」と称する部分のみを指しているようだ。
そして上野立坑の存在は地下水対策のHPから分かったが、新たに御徒町立坑なるものの存在が判明したことになる。

p.58の線路平面図を参考に、地図へ加筆したものを以下に示す。右が真北である。



線形は比較的単純であることが分かる。なお、縦断面は3k228m付近まで25‰の下り勾配だ。
しかし驚くのは2つの立坑の場所。上野立坑は交差点のど真ん中御徒町立坑はガード下である。一体どのように施工したのだろうか?
そして上野立坑の位置とトンネルの端が微妙にずれているが、これは上野立坑から東京方26mは上野地下駅の建設時に施工済だったことによる。この上野立坑と26mの既設トンネルが、シールドの発進基地となったようだ。

親トンネルの前に子トンネル?
同じ「東工37-1」p.63「御徒町パイロットトンネルの施工について」という論題がある。

パイロットトンネルとは何ぞ? −普通のトンネルでいうところの「先進導坑」にあたるものらしい。
都市部の地下を施工するには、本トンネルの着手前に十分地盤を強化しておかなければならない。その方法はいくつかあるが、このトンネルではまず小さい断面(直径約3.3m)のシールドトンネルを掘り、そのトンネルから薬液注入を行って地盤を固結した後、あらためて本トンネルシールド(直径約12.5m)を用いて掘削する手法が採用された。

地盤を強化する目的はもちろんトンネルの崩壊を防ぐためであるが、「圧気工法」を使用する場合に特に念入りに行われる。
圧気工法とは、掘削している現場に仕切りを設けてその部分だけ気圧を上げ、地下水などの噴出を抑える工法のことである。
当然地盤に隙間があると、その隙間から空気が漏れてしまい意味が無い。最悪の場合噴発を起こし、地表陥没を招いてしまう。
90年に起きた御徒町の陥没事故の原因は、パイロットトンネルからの注入工事が不完全で、そこに圧気シールドの本トンネルを進行させたことによるものである。
この事故に関しての詳細はまだ調べられていないが、承前の鉄道ファン・ジャーナル誌とネット上のいくつかのソースによれば、営地下鉄12号線(大江戸線)の準備工事として、あらかじめ用意されていた空間が不完全注入の原因となったようだ。

ただでさえ蜘蛛の巣のようなおびただしい埋設物のある首都の地下。そこに新たなトンネルを掘っていくのは容易なことではない。

秋葉原トンネルの概要
他方、東京方670mはどうなっているのだろうか。
「東工37-1」p.71にその記述がある。

このトンネルは、図(略)に示す通り蔵前通りをまたぐ練塀橋架道橋から御徒町駅南口の同朋橋架道橋に至る、延長、約440m箱形トンネルで、在来高架橋(電留3線、京浜南行1線)直下を通るため、PCスラブ方式(図略)により、アンダーピニング行ったのち、開さく工法により、地表面下10m〜23mまで、掘さくして構築する工事である。

図を見ると、延長670mの全てが開削箱形トンネルで、そのうち上野方の440mアンダーピニングという工法で施工しているようである。
アンダーピニングとは、地上構造物が既に地中に杭を打って支えられているため、その下を通るに当たり杭を切らなければならなくなる。そこで別の場所に杭を打って構造物の基礎を補強・仮受けし、下に新設構造物を構築、しかるのちにその構造物自体で上の既設物を支えるという工法のことである。この秋葉原トンネルでは在来線高架の足が支障するが、列車を止めることなくこの作業を行わなければならない、ということであった。

p.72の線路平面図を参考に、地図へ加筆したものを以下に示す。右が真北である。



ご覧の通り、平面線形はほぼ直線である。
気になったのは、東京方坑口の位置が、資料と地図とで大きく食い違っていることである。
そういえば、第二節「トンネルが伸びているような気がする」と書いたが、航空写真と比較してみるとなるほどよく合致するではないか。ということは、雑誌に掲載された時点とは事情が変わり、トンネルをさらに延伸したものと思われる。

ちなみに2k520m付近から分岐する電留線は、既にお分かりの人もいるかと思うが工事時点では存在しない
平成元年時点の航空写真にも写っておらず、恐らく秋葉原貨物駅引込線の正式な廃止後に整備されたのではないだろうか。

それでは、現地へ行ってみよう。

上野駅−東京方坑口
写真の枚数が少ないが、ご了承
いただきたい。

左は上野駅の広小路口を出た
所である。
上野立坑があるとされる場所は
もっと東寄りで、ペデストリアンデ
ッキのあるあたりだと気づいた
のは帰り際になってからである。
既に日没後だったので写真を取
り損ねてしまったが、立坑を思わ
せる構造物は発見できなかっ
た。
そもそも道路の真ん中にある立
坑はどのように始末されるの
か?という点が不明である。









場所はずっと飛んで、春日通りのガード下である。

ここが陥没事故を起こした現で、中央の信号柱の直下あたりがまさに大穴の空いた場所なのだが、当然というべきか完全に元通りになっており、当時の状況を残すものは存在しない。

ここから右奥に見えるガード下の路地を秋葉原方向に歩いていくことにする。












いろいろなお店が軒を連ねていて飽きの来ない散歩道だが、結局、御徒町駅南口付近にあるはずの御徒町立坑も発見できず、そのままトボトボ歩くことに。

そして台東区上野5-10を過ぎたあたりで、妙に立派な、しかし黒塗りのフェンスに出くわした。
この付近のガード下に共通の意匠で、はじめはスルーするつもりでいたのだが、左のカンヌキの掛かった重厚な扉が気になりだし、近寄ってみると…。











!!!!!!!!!!!?
なんだこの穴はっ!?

場所からいうと何の立坑も存在しないはずだが、ここはアンダーピニングを行った区間である。

上野第一トンネルは間違いなくこの穴の位置にあり、直接通じてはいないとしても無関係の構造物ではあるまい。

もっとよく覗き込めるかとがんばっては見たが、何せ人通りの多い場所。そんな中いつまでもフェンス越しに顔とカメラを押しつけていては不審者扱いされかねないので、そそくさとこの場を後にした。

しかし一体、何なんだ…。




少し進んで上野5−8に来た。
施工図によれば、この在来線の橋は第一御徒町架道橋というそうだ。

上の写真の現場はちょうど電柱の被っているあたりになる。



















そろそろアンダーピニングの終端である蔵前橋通りに出る。

秋葉原貨物駅に伸びていた線路はここを境にジエンドしており、その名残の高架が張り出している。

…ん、でも高架よりさらに出っ張った物があるような…。
















これは…。

こちらから見ると正直「らしくない」外観になっているが、通り側から見るとその正体が明らかとなる。




















「上野第一トンネル非常口」である。
この囲いのどこからどのようにトンネル本体へアクセスできるのかは確認できないが、とりあえず秋葉原側の避難経路の一つが明らかとなった。

この回で「第一上野」ではなく「上野第一」と書き続けてきた理由は、まさにこの表記があったためである。JR内部でどちらが使われているのか定かではないが、公に表示してあるトンネル名なのでこれを尊重することにする。

「緊急自動車出入口」ということは、消防車くらいは中に入れるということか。
…本坑に?それはないか。

それにしてもセンスのない落書きだ。

蔵前橋通りを挟んで反対側から全体を見る。

途切れた高架が貨物線跡、左のガードが電留線のものである。新幹線のトンネルは、この電留線ガードの直下にあるはずである。それから察するとこの非常口はだいぶずれている。















蔵前橋通りから東京方を望む。
E231が止まっているのが電留線になり、新幹線はその下だ。

手前に張ってあるフェンスは、推測だがつくばエクスプレスの工事に使用したものではないだろうか。
そう、この辺りには鉄道トンネルがたくさん埋まっているのだ。














上の写真でビルの陰になる道路が電留線をアンダークロスする場所である。

昔の資料には「貨物通路架道橋」とあり、おそらく秋葉原貨物駅と神田市場を直結する道路であったものと思われる。
道幅が狭いので橋脚を減らす工事をしているようだ。

さてここから東京方を見ると、このようにトンネルが地中からせり上がってくるのが見える。











そのせり上がっていくトンネルの、東側。
緩衝帯のような空間が延々続いていて、ここもトンネルと一緒にせり上がってゆく。
突き当たりには何か扉のようなものが見えているが、それ自体にも、手前のフェンスにも新幹線の何かであることを表示する物はない。














明神坂橋架道橋で、約1.3km続いた上野第一トンネルがようやく終わる。

区間は短く収穫も多くなかったが、都市のトンネルには別のミステリーがありそうだ。


















次回は上野第一トンネル最終回です。

第四節 上野第一トンネル総論 へ続く


TreasureReportsの先頭へ
第一節 真の起点へつなぐ へ
第二節 何を頼りに へ

トップへ