Treasure Reports
第一編 東北新幹線(東京−盛岡)
第二章 上野第一トンネル

第二節 何を頼りに

まず訂正を・・・
今読み返してみても、不確かで歯切れの悪い序文となってしまい申し訳ない。
理由は後述するが、まず次の点を追加・訂正しておきたい。

・東京−盛岡間の基本計画策定は1971(昭和46)年10月である。(鉄道ジャーナル 1984年11月 通巻213号 p70)

当初の計画に上野駅は無かったが、東海道新幹線の博多開業に伴う需要急増のため東京駅の線路容量が限界に達し、東北用の用地を確保できなくなったことから、当面サブターミナルとして上野に駅を設置する方針が1977年12月に決定した。(同)

資料がない
歯切れの悪い理由は次の通りである。

福島県立図書館に収蔵され、福島トンネルの謎を解くきっかけになった「東北新幹線工事誌」であるが、もちろん(と言っては失礼だが)全区間の工事誌はこの図書館には置いていない。
とすれば、ここはあの場所に行くしかない、と考えたのである。

そう、泣く子も黙る、置いていない本は皆無と言われる国立国会図書館である。

ありがたいことにネット上からの書誌検索が可能なので、前もってタイトルを調べてから出掛けることができる。ただし福島の田舎者には、通うには金の掛かる場所である(といいつつ、この調査のために何度も東京へ出向く羽目になるのだが…)。

ところが、である。
「置いていない本はない」はずなのだが、大宮以南の工事誌が何故かどうしても見つからないのだ。
検索して引っかかるのは大宮以北、新しい盛岡−八戸なんてのもある。にもかかわらず、無い

工事誌になってないのか・・・?まさか。
ネットで検索すると、東京−大宮間の工事誌は存在しているようなのだが、国会図書館には収蔵されていないということになるのだろうか。

東北新幹線の時は頼りになった航空写真も、都市部の調査には使いにくい。変化が激しい上に、都市部での工事現場の構成に関して知識がなかったからである。

さて、困った。頼るべき物がない。

この段階で分かっていたのは次のようなことであった。

・本区間の着工は1981(昭和56)年であるが、財政難のため一部分に限られ、本格的な工事開始は国鉄解体後の1987年4月以降となった。
・トンネルの秋葉原側は長さ670mの箱形トンネルであり、秋葉原トンネルと呼ばれている。
・トンネルの上野駅側は長さ500mの円形シールドトンネルであり、御徒町トンネルと呼ばれている。
1990(平成2)年1月22日に、御徒町駅付近で陥没事故が発生し、工事は半年間中断した。
(以上鉄道ファン・ジャーナル91年8月号・90年4月号)
・上野駅の地下水位上昇に伴う駅の浮き上がり対策として、トンネルの湧水を上野立坑より不忍池に送水している。(ネット)

トンネルの長さ自体は特筆に値しないのだが、ネットで見つけた「上野立坑」の文字に急速に興味が湧いたのは言うまでもない。
1番目のトンネルでもあるし、これは調べないわけにはいかない。
そのニュースをリアルタイムで見た記憶のある御徒町の陥没事故についても、何らかの知見が得られるとよいのだが。
ということで、頼るべき物がないまま調査が始まったのである。

とりあえず、見ておきますか。航空写真。

上野駅−御徒町駅付近
左は、1984(昭和59)年度撮影
の航空写真である。

画面上方が上野駅、下に少しだけ見えるホームが御徒町駅だ。


…ごめんなさい全然見当がつきません。建物が密集してるしその影がウザイし…

最初から敗北宣言な感じはするが、一応地図を元にラインをあてがってみたのでカーソルを写真に乗せてもらいたい。

気になる箇所は上野駅広場の赤茶けた部分と、ビルとおぼしき建物の南側の空間である。
しかしこの写真が撮られた時点で工事がどのくらい進んでいたのか不明なので、全く確証がない。





























左は上の写真から5年経った1989(平成元)年の写真である。
首都圏は同一地点が複数回撮影されるので、変遷を調べる上では便利だ。

比較してみると、なんだか雲行きが怪しくなってきた。上の写真で南側に印を付けた部分に至っては普通にビルになってしまったではないか。

工事現場が見つかったとしても、それが建物なのか地下鉄なのか新幹線なのか、その区別を航空写真から判断するのは至難の業だ。その上筆者には土地勘がない。





御徒町−秋葉原駅付近
上から見て分かりそうなところはもう秋葉原あたりまで無い。

左は1984(昭和59)年度撮影の写真で、下端が秋葉原駅になる。
現在は東側に写る秋葉原貨物駅がごっそり姿を消し、新しい高層ビルと広大な空き地になっているため雰囲気はかなり異なる。

この付近は箱形断面なので恐らく開削による施工だろう。

しかし…地図(うぉっちずを含むネットで公開されている物全て、筆者が公開用に使っているゼンリン地図も)を見ると、新幹線のトンネルは常に在来線の東側を通ることになっているのだが、この写真を見た限りでは来線の高架下に入っていってしまうように見える。

おいおい、地図まで間違ってんのかいひょっとして。



























同様に、上の写真と同じ場所の平成元年版である。

なんだかトンネルの上がごちゃごちゃし始まっている。ビルのような建物が建っているように見える所もあるが、これは一体何だろうか。

そして上の写真よりもトンネルが伸びている気がするのだが…。











































次回は国会図書館での孤軍奮闘と、現地調査をお伝えします。

第三節 本がダメなら へ続く


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