巨大な土管
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巣子駅への案内板がある道路より1つ南の路地を入るとこのような場所に辿り着く。
滝沢トンネル南坑口の非常用通路である。
周囲は住宅街で、地形的にも風の影響を受けやすい。そのためか非常に高い壁で囲われており、防音・防風・防雪の意味があるのだろうが線路は全く見ることができず残念な姿である。
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非常口の名前は「滝沢斜路」。
え?
「斜路」という言葉は、単なるスロープだったり斜坑のことだったり用例がいろいろあって紛らわしい。とりわけこの場所の場合、線路と道路はレベルなので、どの辺が斜路なのか理解に苦しむところではある。
左のキロ程標を見ると次の門扉は3km先である。つまり前回お伝えした「滝沢斜坑」は、やはり現存しないことが分かる。
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そしてこの門扉の左手に、ヌッと現れたるは滝沢トンネルの坑口。
なんというか、土管にしか見えない。
中山トンネルの名胡桃口もそうだったが、こちらは土を被ってない分余計にそう見える。
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坑口の真上には、巣子駅へ直結する連絡階段がある。全面が透明な板(ガラスっぽくはなかった)で覆われており、雪が降っても安全である。しかし汚れがひどく眺めはご覧の有様だ。
この位置から見ると坑口部分だけが一回り太いのが分かる(工事誌によると10mの緩衝工)。
東側は腹付線増で勾配緩和のためタスキ型となった東北本線の線路が上下2段になっている。巣子駅の開設にあたってはこの段違いの線路が問題であったが、結局ホームも段違いに設置された。
バリアフリーの真逆(バリアフル?)である。
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跨線橋の上から今度は八戸方を望む。
途中までは土管だが、その先はコンクリートで固められた盛土のようだ。
宅地との境目の処理が何とも微妙だが、もう少し何とかならなかったのだろうか。
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その保護盛土の末端。
地面は全くアスファルトとコンクリートによってのみ構成されている。
この区間(坑口から140m)は家屋移転の上開削した、とある(工事誌p.294)。土被りが極薄だから他の用途に使えないのは分かるのだが、防護柵はともかく表面を緑化しなかったのは何故だろう。
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モザイクグラウンド
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さらにもっと進んでみる。
一旦は民地となり駐車場になっているが、このように飛び飛びで柵で覆われた謎の空間が出現する。
地表には何もなく、ただ一面アスファルトで舗装されたのみである。
どうやら払い下げや貸し出しをしていない土地は全部JRの管理下にあるようだ。
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飛び地は次々と現れ、道路を挟んで東側に移る。この辺りからトンネルは右曲線のはずである。
側溝も交差部分だけ手直ししたのか非常に綺麗だ。
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直接話題とは関係ないが、目の前には巣子駅がある。
2007年6月時点では幹線道路と直結しておらず、ちょっと浮いた存在である。取付道路の工事は途中で切れており、用地確保に手こずっているのかと邪推する。
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鉄柵で囲われた土地の周辺にはこのような用地境界標が埋められている。
「幹506」は恐らくキロ程なのだと思うが、「R87」の意味はよく分からなかった。他の場所を見る限り通し番号のような感じだが、番号の振り順が不明であった。
あと標柱の矢印刻印は何を示しているのだろう。
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保護盛土を横切る道路に対してはこのような施工となっている。
この付近は山砂にセメントを混ぜて人工地盤を構築した、とされている。
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道路の反対側もずっと続く。
それにしても、上に何も建てないのだったら何故こういう地形にする必要があったのだろうか。
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鉄柵の中に見つけた基準点。
「2級基準点
世界測地系
日本鉄道建設公団」
と書かれている。
これまでにも他のトンネルの上で見たことがある。
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飛び地はまだ現れる。
奥に見える林の手前までの640m区間は延々こんな調子らしい。
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上の写真の反対側を向いた状態。つまり盛岡方である。
防護できる場所は全部やれ、といった感じか。
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防護柵の末端はいきなり民家であった。う〜ん、程度に差があるとは思えないのだが…。
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防護柵の一部は開放され、民間に貸し出しているようだ。
読んだ限り土地はジャスターの所有である。
それにしても。
「高架下」って(笑)
「トンネル上」という地目が存在しないのか、そう言えないワケでもあるのか。判じ物である。
近くて遠い存在だった滝沢トンネルの取材はこれで一区切りである。
新しく路線ができる沿線に住んでいる皆さん。
去りゆくものを追うのも一興ですが、新しいものが生まれる過程をぜひ記録して下さい。
その瞬間に立ち会える機会は滅多にないのですよ。
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北坑口には在住時2回行ったのですが、いずれもカメラを持って行かなかったので写真はありません。 |