見渡す限りの
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滝沢駅前の道路を南に500mあまり。
不意に現れた広大なアスファルトの敷地を突っ切り北西に歩いていくと、何やら人工的な地形が見え始める。
しかしきちんとした道路は無く、薄い砂利の田圃道があるのみである。
これを見た瞬間、斜坑の現存は絶望的だと感じた。が、何らかの痕跡は見つけたかった。
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上の写真にある人工地形の上に立ってみたところである。写真は南東を向いている。
奥に建物やトラックのある場所がどうもバックヤード跡らしい。建設業者か何かが利用しているようだ。
しかしあの場所から今自分の立っている地点まで直接道路で繋がっていたとは全く信じられない。途中には田圃、池、段差などがあるが、そのいずれも改変の痕跡がなかったからである。
先述の通り、この区間は高架桟橋を建設したと考えられ、巧妙に橋脚を建ててショートカットしたのが痕跡の残らない理由ではないかと思われる。
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さらに丘の上を歩く。
うーん…これはひょっとすると単なる人工的な丘ではない。
滝沢トンネルの捨土ではないのか?
写真で分かる通り、等間隔に若木が植えられている。いわゆる「修景(工事などで露出した地面を植林や緑化によって修復すること)」だろう。
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何というスケール。
まるで龍がうねったような盛土が延々続いている。
これ自身が鉄道の築堤か何かと錯覚するような勢いである。
そして工事用道路は見事なまでに跡形もなく、線形の想像すら困難である。工事終了とともに道路ごと残土で埋めてしまったのだろうか。
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底を流れていた川は整備され、ただの側溝にしか見えない。
写真の場所あたりで工事用道路はこの川を乗り越し、左手に移っていたはずである。
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この写真は上から約1年後、再訪した時のものである。
草木が生長し、この丘が何だったのかすぐに分からなくなってしまいそうである。
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同じく1年後の写真。
盛土の末端はどうも民地であるらしく、畑を耕している人がいた。
私が立っているのは川を挟んだ空き地なのだが、この場所こそ滝沢トンネルの斜坑口があった所かもしれない。
私の目的地は、既に地中に埋もれ、すっかり整地されてしまっていた。この周辺は今も宅地開発ラッシュで、いずれ家でも建つのだろう。
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逃した魚は大きい、という。
まさにそれを体感した取材行であった。
もちろんだが、これは延伸区間の全てにおいて言えることである。新線開業という巨大イベントなど今後そうそうは目にする機会はないだろう。「その瞬間」をみすみす見逃したことは非常に悔しい。
もっともこの悔しさが原因で、早いうちに全トンネルを調査し、歴史がなるべく風化しないうちに、消えてしまう前に世に晒していこうと決意することになったのだが。
左の写真は盛土の南端にぽつんと立っていた、おそらく用地境界標の名残である。表面は削り取られている。
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滝沢トンネルの章はこれで終わりではありません。
次回、南坑口付近に転がったネタの数々をお見せします。 |