Treasure Reports
第一編 東北新幹線(東京−盛岡)

第十一章 安達ヶ原トンネル
駅間:郡山−福島 位置:東京起点236k139m−236k709m 全長:570m


隠遁の術
全一回

東北新幹線 安達ヶ原(あだちがはら)トンネルは、島県二本松市(旧安達郡安達町)地内を通る、全長570mのトンネルである。

前回レポートした第二粟須トンネル福島トンネルの間に位置し、全長はそれほどでもない。名前は地名に由来するが、風光明媚な土地柄は数々の物語を生んできた。
「あれが安達太良山、あの光るのが阿武隈川(智恵子抄)−詩人高村光太郎の妻、智恵子の故郷である。

地図上に目立つ「安達ヶ原ふるさと村」は、「鬼婆伝説」の伝承地。病に苦しむ姫君を治すには赤子の生き肝しかないと言われた乳母がこの地に辿り着き、こともあろうに偶然最初手に掛けたのが我が娘。その苦しみの余り本当の鬼と化し、人を襲っては食い殺すようになったという悲しい物語である。敷地内には「鬼婆」の墓とされる「黒塚」がある。新幹線の車窓からも確認可能だ。















また紙数の犠牲に

このトンネルも、工事誌には単独の章がない。
不思議に思ったのは、やはりp.376トンネル一覧表に記載された「その他」の施工延長76mという点であった。
また、意外な所に有力な手がかりを見つけた。「東北新幹線(白河・桑折間)地質図」なる資料で、福島トンネル調査の時も工事誌に直接記載の無かった開削・明かり巻(トンネルが露出するような地形で、トンネルアーチを構築後その上部に地盤を形成すること)の区間を発見することに役立った。この安達ヶ原トンネル「上半開さく」と書かれた部分が存在するので、その痕跡が窺えるはずである。

本トンネルの施工時期は1975(昭和50)年12月1日1977(昭和52)年6月30日である。
航空写真の撮影時期はおそらく工事開始のほんの少し前だろう。参考になる写真は残念ながら無かった。

カモフラージュ
南坑口からお伝えしていくことにする。

トンネルが短いためか、こちらの顔に緩衝工はない。いわゆる「補強型坑門」という重厚なタイプのポータルである。

それよりも、この写真の左に見える不自然な影が気になる。













んっ!?

道路の下に掘られた暗渠かと思ったのだが、途中で埋められて行き止まりである。
これは一体何だろう。新幹線の工事との関係はありやなしや。

形状的にはまるで側壁導坑のような感じなのだが、これによく似た造作の道路下トンネルを全く新幹線とは無縁の別の場所で見ており、その時期特有のものだったのかもしれない。








北口の方は午後になるとほとんどが日陰になってしまう。
筆者が子供の頃に福島トンネル南口と同じくらいの頻度で連れてきてもらったことのある思い入れの強い場所である。
羽化直前のセミやオニヤンマが高架下でじっとしているなど、ほほえましい自然との接点がここにはある。












こちらには短いアーチ型の緩衝工が付いていた。
それにしてもまた、銘板と被ってらっしゃる…。
サイズがそうだから仕方ないだろうと言われればそれまでだが、こういうところに融通のなさが現れていると思うのは気のせいだろうか。













そして懸案の開削区間は一体どの辺だったのか?
トンネルの周囲や上部を通る道路を一通り探し回るもののさっぱり成果なし。
はて、どうしたものかと首をかしげつつ、目の前に広がる畑に視線を落とす。

すると…













…あ。あった。

表面上何の変哲もない桑畑なのだが、1つ用地境界標を発見すると途端に見る目が変わる。

よくよく見れば延長線上にもう2つあるではないか。

でもこれ、境界標と全く関係なしに耕作されてる気がするのだが大丈夫なのか?











道の反対側にもにょきっと生えている。が、やっぱり境界標が区切った境界そのものが全然見えない。



















うーん。
道、畑、桑畑、草地。
これまで境界標の内側の空間というのは少し特殊なにおいがしたのだが…。


















道路部分は少し盛土になっていて、その下も普通に畑だ。
何の脈絡もないような場所にまた境界標が突っ立っている。

なんなんだこの空間は…。
















上の写真の奥側をズームで撮ってみると、何だかとんでもない所に用地境界標二級基準点があるではないか。
しかもやっぱり耕作地だ。
基準点に至っては畑のど真ん中で、地主にとっては正直邪魔なのではないか?














さっきの道路脇の境界標から級基準点に向かってライン読みをする。

うーん…

ここがトンネルですと言われても、用地境界標が立っていてもまるで信用できない。
というかライン上に電柱が立っている気がするのだが、土被りや地面の安定性を考えるとトンネルの真上に電柱は立てられないと思うのだが。

いずれにしても、開削するほどの区間が全く普通に土地利用されていたのはこれまでに見たことがなく、衝撃的であった。


次回はいよいよ春一番の長大レポートです。


−終−


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