Treasure Reports
第一編 東北新幹線(東京−盛岡)

第七章 白坂トンネル
駅間:那須塩原−新白河 位置:東京起点173k817m−176k782m 全長:2,965m


忘れられたトンネル
全一回

東北新幹線 白坂トンネルは、福島県境の白河市西白河郡西郷村を通過する、全長3km弱の山岳トンネルである。
福島県と栃木県を分かつ1本の川。これが「黒川」である。この川の形成する段丘により、古くより交通の難所であった。東北本線は、旧日本鉄道時代には急勾配と急曲線の連続であったが、その後長大橋梁の技術が進歩したことで黒川を一跨ぎする現在の線形に改良されている。しかし勾配を緩和するために、複線化時は別線線となった区間もある。

地形と格闘する在来線をよそに、新幹線はこの地域を那須トンネル白坂トンネルで通り抜ける。黒川はもはや難所ではないが、国鉄時代の管理局境界(黒川以南が東京北鉄道管理局、以北が仙台鉄道管理局)であることから、新幹線の工事もこの川を境に分割されている。工事誌「雀宮・黒川間」「黒川・有壁間」になっているのはこれが理由である。

さて、この白坂トンネル
3kmもあれば十分な存在感であり、仙台局管内の最初のトンネルとなればそれなりの扱いを受けても良いはずであった。
ところが…
何とこのトンネル、工事誌に載っていないのである。
1本目のトンネルが端折られるとは到底信じがたかったのだが、何度「黒川・有壁間」を読み直してもこのトンネルを解説する章は一切見あたらない。

これは一体どういうことか?
工事の点で特筆すべき物が何もなかったのか?あるいは書くことができないワケでもあったのか。

謎多きこのトンネルに、筆者は挑んだ。

たった2ページ

工事誌には白坂トンネルの章はないものの、ただ一つの手がかりがあった。
それは「トンネル一覧表」というもので、黒川−有壁間の88トンネルについて諸元を記したものである。
当然トップバッターの白坂トンネルの通し番号は「」。工事誌p.374・375のそれぞれ上3行のみが頼りである。

それによれば、白坂トンネル2工区に分割され、南工区1600m、北工区1365mであったらしい。
注目すべきは、北工区のうち185m開削工法と記されていたことである。これまでのトンネルでお分かりのように、開削するような低土被り区間は地上に何らかの痕跡を残すことが多く、その発見が期待できる。問題は185mというのが全体のうちのどの辺であるのか、皆目見当が付かないことであった。

それでは航空写真を見てみよう。


白坂トンネルの南坑口は、の河岸段丘上に口を開けている。
工事着手が1973(昭和48)年1月10日、竣工は1977(昭和52)年5月20日なので、航空写真の撮影時期は工事たけなわの頃と推測される。

ちなみに、新幹線の工事と関連があるかどうかは不明だが、現在黒川の流路は変更され、新幹線高架に沿う格好となっている。









一方、北坑口の工事現場はとてもにぎやかであった。
白坂トンネルの北坑口と、隣接する西郷トンネルは同一の業者により施工されたため、大規模な展開が図られているのが分かる。
工事は2つのトンネルの間にある明かり区間から始められたようだ。













で、気になったのが以下の2カ所だ。
左は、北坑口の写真のすぐ下の位置である。一面が土砂で覆われているが、そのラインはトンネルの位置に符合する。
地形図を確認するとどうも谷のようで、そこを埋めてしまったようだ。
この場所が開削だったのだろうか?であるとすればこの時点でこの区間のトンネルは既に中に埋まっていることになるのだが、上の工事現場の写真を見るとまだ途中のような気がしてならない。一体どういう順番で施工したのだろう。





上の写真からさらに南下した地点。
トンネルが通過するあたりの地面が妙である。交差する川もなぜかここだけU字溝が整備されている。
しかし地面の色は上の写真と比べて遙かに落ち着いており、手を入れてからある程度時間が経過したのでは、と普通なら考えることが可能だ。
しかしこの場所も、トンネルの中間地点。真っ先に手を付け、なおかつ同一工区の工事が終わらないうちに埋めてしまうことはあり得るのか。
そもそもこの場所は開削だったのか?

以上のような数々の疑問を頂きつつ現地へ向かった。


南坑口付近
黒川に沿って道路が走ってお
り、ここから白坂那須の両トン
ネルを望むことができる。
ご覧のように白坂トンネルには
緩衝工が無く、いたって普通の
面構えである。
先述のように、このあたりの川
はしっかりした堤防と広い流路
に改修されている。旧河床は新
幹線高架の下をくぐっている(ト
ンネルの手前で径間の違う高架
橋脚の部分)。










黒川は地域を悩ませる暴れ川のようだ。
道路との交差部分で見つけた、新幹線の橋脚に記された最高水位の印。ちょうど胸の辺りまでの高さなので相当なものだ。
ここまでの水位では新幹線は運行できるのだろうか?














????の地点
場所は飛んで、空中写真の最後に紹介した地点である。
現在は全体がコンクリートになっているものの、この一段細い部分は紛れもなく空中写真に写るU字溝の区間である。
淀んでいるわけではないが、あまり綺麗な川とは言えない。

この前後は普通に住宅地や畑となっていて、空中写真のような更地を想像するのは困難である。










トンネルがU字溝の下を経て、道路と交差するあたりの地上である。

全く何の変哲もない。
これまで開削区間などで見てきた用地境界標の一つでもあれば面白かったのだが、一つも見あたらなかった。














ただ、この道路を挟んだところに奇妙な建物がぽつん。

これ、何ぞ?

但し書きは一切無く、扉の類はこの1カ所だけで、あとは完全なのっぺらぼうである。
地元の防災倉庫という気がしないでもないのだが、だったら何か表示があっても良さそうなものだ。
普通のような気がしないのは、天井に付いたベンチレーターがいかにも工業向け臭いというのが理由だ。
配電盤を見たが電気は来ていないらしい。

全然関係のない建物であれば悪しからず。何せ手がかりゼロなのだ。

開削が行われたとおぼしき地点は、背丈の高い猛烈な雑草に覆われて写真を撮るどころの話ではなく、北坑口には行かずじまいだったため写真を撮っていない。

結局これといった謎解きができないまま、今回の取材は終わった。
本当にどうでもいいトンネルだったのだろうか…。

今後連続で紹介する短編レポートは、この白坂トンネルのように開削したり、珍しい外観を持つトンネルの取材記録です。


−終−


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